Beatlesの赤盤と青盤を予約してしまった!
1111のポッキーの日に届くんだって!
やるね!Beatles!!!
たまたまか(^○^)
横川先生も多分Beatles好きだったと思うけれど、そんな話しができなかったのは残念です。
初めてホールでライブやる事になった18の時、横川先生がまだ小学生の姪と一緒にお花持ってみにきてくれた事を思い出しました。
もう50年近く前の記憶です、、、。
一年ほど前横川先生の自宅を訪れた時、出てきた女性に『私の事覚えでますか?』と言われて戸惑いました。
『ライブに一緒に行った姪です』
流石に面影すらないけれど、どことなく横川先生に笑顔が似ていました。
横川先生の笑顔と花束とちょっと照れくさい感覚はしっかり覚えています。
横川先生との出会いは私が小学生の頃、和翠塾の前身である『鵞苑塾目黒教室』でした。
当時は狭いお教場がいつも満席で、大人の女性達の熱気が凄かったです。
やんちゃな私は多くの女性から結構可愛がってもらっていました(⌒▽⌒)
私が10歳なら横川先生は25歳になりますから、それはもう可愛いらしい素敵な女性でした。
色々思い出そうとするのですが他の女性の記憶と混ざってしまっていて、、、。
私が大学生になって、一日千字文大会の設営に塾の机を車に載せて一緒に早稲田にあるお寺に運んだ時の事を覚えています。
書道についてや当時の塾について、人生観についてなど色々と話しながら車を運転しましたね。
『なんで結婚しないの?』なんて、とっても失礼な事を言った記憶もあります。
今だったら炎上必至です、、、。
当時でも炎上するな、、、。
反省、、。
少し間があってから横川先生はこう答えたのです。
『ご縁がなかったのね』
横川先生らしい言葉をしっかり覚えています。
『◯◯だわ』なんで言葉遣いする女性を最近では見かけませんが、横川先生は『だわ違い』の達人でした。
モノクロ映画ぐらいでしか聞く事もない言葉遣い、、、。
横川先生には良家の子女たる品格がありました。
私の妻も絶滅危惧種の『だわ違い』の達人です。こんな身近に二人も居るとは、、、。
ラッキーなのかどうかはわかりませんけれど( ̄∇ ̄)
横川先生の記憶の中に、私の事が少しでもあれば嬉しいです。
書道と洋裁と多くの子供達を愛しんでくださった横川先生、最後の最後まで和翠塾の為に尽くしてくださった横川先生、
ありがとうございました。