無くならないよ。
人間がいる限り、無くならないよ。
物と物をぶつけで出る音に楽し在庫一掃感じるのは本能。
その音の違いに楽しさ見つけるのも本能。
リズムは心臓がベースとなっているので、これは本能以前の生理。
故に無くならない。
書道はどう?
これも無くならない。
人類が大地に降り立ち、最初に手にしたものの中に、地上に落ちていた枝があったと思う。
更なる手の構造と何故か右利きが多い事から考えると、右手でフライパンの柄持つように枝を掴んだと思う。
その枝をぶら下げた時、先端が大地についてその跡に興味を持ったに違いない。
その形はカタカナの『ノ』
右上から左下に右腕を動かして書いた起筆のめちゃくちゃ強い『ノ』(^○^)
キャッキャと言って面白がったぢろうなぁ〰️
私もキャッキャと言いたいよ〰️
それから手形を壁につけたり、器用な奴が絵を描いたりしていくわけだけれど、文字誕生はまだ先の話。
と言うわけで、書く行為も音楽同様に本能がベースになっている。
だから絵も書も無くならない。
さらにそれを精神鍛錬と結びつけた書道も無くならない。
なぜなら人間は放っておくと堕落するからね。
堕落しちゃいけないと言う考え方がある限り、書道は無くならない。
特に裸で寝ていたら死んでしまったり、手を伸ばしても果物がない地域では無くならない。
厳しい自然と書道は馴染みが良いのだと思う。
金持ちには書道は道楽でも、庶民には正しく生きる上で必要な姿勢や考え方を身につける必須アイテムだ。
だから、無くならない。
とくに日本では無くならない。
人口が減っても無くならない。
そう思う。