と言ってもWOWOWで、観たのですが、、、。
映画製作会社で働く一人の女性の日常を淡々と描く手法で、その会社の中で起きている異常性が如何にして種々雑多な業務の中で埋没し、疑問があっても理性が働かなくなっていく仕組みを観る側にも仕掛けた作品でした。
ちょっと分かりにくい説明ですよね、、、。
社会性の高い映画でしたが、私がそこで感心した事は真逆のとっても身近な事。
カッターの使い方が同じ、とか、
電話とメールの使い分けが同じ、とか、
日頃やっている行動がグローバルスタンダードだったのかも?と言う安心感と、それが普遍的だとしたら、それをもたらしている要因は考え方なのかそれを含んだ『モノ』なのか?と言う疑問。
分かりにくい説明だなぁ〰︎( ̄∇ ̄)
カッターや電話、PCのキーボードや冷蔵庫などの『モノ』に宿る精神に、使い方を限定させれている事に疑問を持った訳です。
専用としてその能力を限定されている『モノ』に対して、私は盲目的にその限定された使用方法を信じ込まされているのではないか?と言う疑問です。
取説のルールに従順な頭が硬直した馬鹿野郎なんじゃない?
知らず知らずのうちに応用力が無くなっている自分を知ったのです。
それがこの映画の隠されたテーマだとは思いませんが、私は勝手にそこから日常の中に潜む異常性の恐ろしさを感じました。
私は日常に隠された異常性に気づける判断力とそれを改善する行動力を持っているでしょうか?
自信のなさが日々チェックする事につながれば70点ぐらいはあげられるかもしれないけれど、残り30点を取りにいってるのか?
棚上げしてないか?
人間が社会に於いて幸せに暮らせる普遍的な考え方は、私の頭の中に活字として存在しています。
でも、
その活字を生かせてる?
錆びついてない?
君の思考と行動規範は何に基づいている?
君に哲学はあるのか?
あるならそれはなんだ?
そんな事を勝手に思い知った作品でした。
今週も自分の信じる哲学を活用して張り切っていこう!