武将シリーズのラストを飾るのは、この方です!
苗字と家紋から調べたところ、私の先祖は松平家の家臣として、この方と共に戦ったようです。
先祖が書き残した資料を調べてみると、その後旗本となったようですが、旗本といっても小普請組と言われる役職だったので、三千石以下の家禄だったのだと思われます。
平穏な江戸時代を代々小普請組として、多分それほど苦労することなく約265年ほど過ごした事でしょう。
刃傷沙汰を起こした話も小耳に挟んでいますが、真偽のほどはわかりません。
そして幕末の動乱を経て、曾祖父はうどん屋を開くことになるのですが、なぜうどん屋なのか?
やるならうどんより蕎麦じゃないのか?
趣味でうどんを打っていたのか?
そのいきさつはよくわかりません、、、。
旗本だったのなら、なんとか官職に就けそうなものですが、、、、
うどん屋は手打ちにこだわりすぎてうまくいかなかったようで、祖父の代だけで廃業しています。
日清、日露、第一次世界大戦に行ったような記録はありません。
祖父は曽祖父の反動なのか、反省を生かしたのかはわかりませんが、渋谷郵便局に勤めていました。
昭和六年の暮れ、12月28日、在職中に亡くなりました。
父は昭和七年1月12日生まれ。
初めての子供である父が生まれる二週間ほどまえに、祖父は亡くなったのですから、臨月の祖母の気持ちを想像すると心が痛みます。
その後祖母の実家である東村山で育ち、戦中は志村けんのお父さんが先生の一人だったそうです。
父は幼少であったので、戦争に行っていません。
戦国時代以降、戦争に駆り出されることのなかった運の良さがあったのかもしれませんね。
今実家がある土地は、当時逓信省(郵政省)の官舎だったそうで、戦後の払い下げで父が安価で買ったそうです。
そして、現在に至るわけです。
ざっと我が家の500年ほどの歴史はこんな感じです。
書に秀でた人がいたのかどうかと言えば、どうもいたようです。
戦前に、先祖が書いた書付が菩提寺に残っていたのですが、戦火で建物もろとも焼失してしまったそうです。
それでもその書付の達筆さを覚えていたお坊さんが、戦後父に教えてくれたそうです。
『あんたの字はかなり下手だが、あんたのご先祖は上手かったよ』と。
その言葉に奮起した父は、私が通っていた書道塾に通うことになるのです。
昨日部屋を片付けていたら、父の書いた書が見つかりました。
子供の頃には分かりませんでしたが、中々達筆でした。
お坊さんから字が下手と言われた事が、よっぽど悔しかったんでしょうね(笑)
ま、きっかけや原動力ってそんなものです。
今更ですが、その先祖の血が私に流れていることをねがうばかりです(笑)