楽しくないと続きません。
なぜ続ける必要があるの?
より楽しくなるからです。
と言うわけで、私は『楽しいお稽古』を目標にしてまいりました。
しかしマスクとアクリルボードと換気扇の騒音が添削指導の邪魔をする、、、
邪魔されてもう何年も経ちました。
イライラする時期もありましたが、塾生諸君の傷心度に比べれば私のは小さい小さい。
なんで?
日本人の約八割は不安遺伝子があり、1.7%だけ真逆の不安にならないタイプがいるそうです。
私がその1.7%タイプかと言うと、そこまで極楽とんぼじゃない( ̄∇ ̄)
100から8割と、1.7%を引いた残りの20%弱のあたりにいる気がします。
そんなタイプならそれなりの役割がやるでしょ?
そうなのです。
確かにそんな感じのポジションで子供の頃からずーっとやってきたようなのです。
過去を振り返らないタイプなので、ほとんどの記憶がブラッシュアップされずに忘却の彼方に追いやられてしまうのですが、なんとなくそんな感じだったよなぁ〰ぐらいは流石に覚えています。
慌てず騒がすやれる事をきちんと積み上げていく事で更に落ち着いて物事を俯瞰から見ることができるのは、書道の稽古を積み重ねていく事と同じ事なのです。
『継続は力なり』
それには楽しさが必要です。
『楽しいお稽古』と『楽しく生きる』は
私にとっては同じ事です。
不安を感じることは悪いことじゃありません。感じない方が危ないですよね。
不安になって考える力とそれに従って行動する力を失ってしまうことが一番危険。
起業してから約40年、色んな事が起こりました。
阪神淡路大震災、バブルとその崩壊、9.11同時多発テロ、リーマンショック、3.11東日本大震災、そして新型コロナ、、、。
そんな時の私の仕事はただ一つでした。
従業員の雇用を守り、お客様の利益を守る事。
あ、二つか、、、。
なんとか会社を潰さずに済んでいるのは、ただただ運が良いだけです。
運気を呼び込む方法は知っています。
積み重ねを止めない事です。
それを子供の頃から楽しく書道する事で身につけてきたよつさうに思うのです。
この先どんな事が起きるかわかりません。
戦後70年もの間、戦禍に巻き込まれなかったのは幸運なことでした。
でもこの先も保障されてたことではありません。
新型コロナがラスボスではないのです。
国家としての備えと一個人としての備えは違うものだと思います。
何が起きても狼狽えず、きちんと考え正解を導き出して行動できる、尊厳ある一個人として楽しく生きる事。
心の準備を書道で整えておきたいものです。