伊集院静さんの生き方に憧れない男性は居ないんじゃないかと思うぐらい凄い方だったと思う。
その人となりを知っているわけではないのにだ。
私の彼に対する知識は、報道されている事のさらに一部分だけだろうから、本当の彼を知っているわけではない。なのに憧れてしまうのだから、憧れてしまう方は馬鹿なのだ。
馬鹿になっていることを分かったか上で憧れているのだと思いたいとのろだが、、。
二つの選択肢がある。
ひとつは落ちるかもしれないけれど頂上に一気に登れる崖をよじ登る方法。
頂上から観た景色は最高だ。
一人でその景色を抱きしめることができる。
もうひとつは、時間はかかるけれど緩やかな坂で鼻歌を歌いながら花を愛でたりお弁当食べたりしながら行ける道。行き着いた先は頂上を見上げる事のできる富士山で言えば五合目あたりまでしか行けない方法。
五合目なんだからそこから観た景色はそこそこの価値しかないし、そこは多くの人でごった返している。
そんな二つの選択肢があれば伊集院静さんは迷わず前者を選び、私は迷ったふりをしてから後者を選んできたと言える。
私の人生はしょぼい選択肢の連続でできている(^○^)
豪快とか破天荒とかニヒルとかとは無縁な人生なのだ。
結果リスクのある選択をしてきたように側から見えるとしてもそれは違う。
常に潰しがきく打算が見えてからの選択だ。
打算だけにダサいのだ、、、。
ね、ダサい( ̄∇ ̄)
伊集院静さんは私と真逆の生き方をしているように思えるから憧れてしまうのだ。
遠くにいるから彼は私の憧れの対象だったのかもしれない。
近くにいたら火傷させられただろう。
博打うちの気質もないのに格好だけで博打して、結果痛い目にあってそれをずっと嘆いている輩になっていただろう。
週刊誌で彼のエッセイ読む程度でちょうどよかったのだ。
しかしもうそのエッセイも新作を読む事はできなくなってしまった。
素敵な人がまた一人旅立ってしまった事がとても寂しい。