口答試験の会場は意外と広く、二人の試験官の後ろには窓があり周辺の街並みを一望できるようである。荷物を手前の椅子に置くと、指定席の横に立つ。ここで受験番号と氏名を名乗る。
けっこう距離があるな。2mほどだと聞いていたのだがもっとあるような気がする。
試験官は二人、大柄で60代ぐらいの大学の先生風、メガネは無し。もう一人は50代後半でメガネ、髪はおおむね白く中肉中背である。
試験はいきなり論文の説明から始まった。このプレゼンが試験に加わったので以前は30分だった試験時間が45分に延長されている。
暗記も練習もしたはずだったのだが、あぁ緊張している。言葉がうわずっているのがわかる。10分だったよな。えっどこまで話したっけ。5分も経たないうちにのどがカラカラになった。
この論文は試験の核心部分といってよく、質問の多くは7割がこの論文に集中する。やっとの思いで説明を終えると、試験官からの質問が始まる。大柄な先生風試験官からの質問は想定していた範囲といえばそうなのかもしれない。答えが適切であったかどうかは分からないが。
論文の発表経験はありますか?
これはどこからの発注ですか?ほかにどこがかかわっていましたか?
なぜゾーニングではいけないのですか?
ゾーニングしたらどうなりますか?
ヒエラルキーと書いているが、詳しく説明を?
最も苦労したところはなんですか?
CPDは何かおこなっていますか?
など、矢継ぎ早の質問が来る。
そして
技術士になったらどんな技術士になりたいですか。これは全く根拠がない話だが、この質問があったら合格は近いといわれる。一通りの質問が終わった。
最初あれだけ緊張していたのに、少しづつ落ち着いている。答えられない質問ではないからだろうと思う。
しかし、しゃべりすぎて墓穴を掘らないよう注意しなければいけない。よく興が乗ると必要のないところまでしゃべり、勝手に解釈してしゃべる悪い癖がある。
すると、試験官が変わった。メガネの試験官にバトンタッチである。この人の登場で試験の雰囲気はガラッと変わった。
さっき質問のあった事項を別の言葉で再質問されているような気がした。しかも問い詰めるようなきつい口調である。
こりゃ誰が決めたんだ?
最初から決まっていたのではないか?
自分で考えているのか?
後付で書いたんではないか?
プランを押し付けているのではないか?
などなど。よくも初対面の受験者にこんなことを質問するなと思ったのだが。
途中で気がついた。こりゃ圧迫面接だ。試験勉強で技術士会の模擬面接を受けたときエリャー荒っぽい質問をするなーと思ったのだが。「試験官とは議論をしてはいけない」「ひとつ呼吸をおいて冷静に答えること」「聞かれたことだけ答えて反論はするな」「わからないときはわかりませんと言え」と言われたことを思い出した。
しかし、答えに窮するようなことばかり聞かれる。きっと答えはないのだろうが、苦し紛れに必要ないことまでしゃべりそうになる。いや、答えらしきモノにすり替えようとしている。あぁきつい。
「時間がないのでここで終わる」突然、メガネ試験官の論文質問が終わった。これがこいつはダメと思って終わったのか、それともヨシとして終わったのか、それはわからない。
そのあと技術士制度や都市計画に関する質問が続いた。墓穴を掘らないように集中して答える。
最後の質問は技術士と技術者の違いは?
私の答えに、それは同じことではないか?と試験官に聞かれ「いや違います!」と答え、自説を話したところで試験は終わった。
最後は反論していたのである。が、それも仕方あるまい。
「どうもありがとうございました」立ち上がり礼を言うと、また入り口で礼をして部屋を出た。エレベーターに乗るとガックと疲れが出た。
重い足取りで渋谷の人ごみの中を歩いている。のどが渇いた。が、缶ビールを立ち飲みできるところはない。恵比寿まで行こう。
東京にはたくさんの美術館、博物館がある。やはり東京には富が集中しているなーなどと関係ないことに感心する。
山種美術館に行くつもりだったが、恵比寿ガーデンプレイスの写真美術館に入る。しかし、落ち着いて作品を鑑賞できるような状態ではない。昨日からの緊張が解けたとはいえ、さっききつく問い詰められたのである。
さっさと美術館を出ると、喫茶店で質問事項をノートにメモる。
4時50分渋谷のハチ公前で東京のかつての同僚と会う。わざわざ来てくれたのである。
居酒屋に入り、試験はきつかったと伝えビールを飲み食事をする。なかなか盛り上がらないのだが、3月発表まではわからんなー。
二時間ほどで店を出ると、来年必ず東京来ること。そして再会することを誓い。別れたのであった。
これで東京での予定は全て終わった。4月からの奮闘も区切りがついた。試験の発表は3月5日である。この9ヶ月、奮闘、努力してきたが技術者として少しは成長できたであろうか?
今、グローバル化と地球規模の環境問題が毎日のように新聞を賑わせている。技術の世界も変化と進歩が著しい。
方向を見失わないように。浦島太郎にならないように。常に現場で仕事をするものは考えなくてはなるまい。
今年はこれで終わりとなるが、少しは充実していたように思う。また来年も挑戦を続けていかなくてはならない。
コンコード環境デザイン研究所 梅田
けっこう距離があるな。2mほどだと聞いていたのだがもっとあるような気がする。
試験官は二人、大柄で60代ぐらいの大学の先生風、メガネは無し。もう一人は50代後半でメガネ、髪はおおむね白く中肉中背である。
試験はいきなり論文の説明から始まった。このプレゼンが試験に加わったので以前は30分だった試験時間が45分に延長されている。
暗記も練習もしたはずだったのだが、あぁ緊張している。言葉がうわずっているのがわかる。10分だったよな。えっどこまで話したっけ。5分も経たないうちにのどがカラカラになった。
この論文は試験の核心部分といってよく、質問の多くは7割がこの論文に集中する。やっとの思いで説明を終えると、試験官からの質問が始まる。大柄な先生風試験官からの質問は想定していた範囲といえばそうなのかもしれない。答えが適切であったかどうかは分からないが。
論文の発表経験はありますか?
これはどこからの発注ですか?ほかにどこがかかわっていましたか?
なぜゾーニングではいけないのですか?
ゾーニングしたらどうなりますか?
ヒエラルキーと書いているが、詳しく説明を?
最も苦労したところはなんですか?
CPDは何かおこなっていますか?
など、矢継ぎ早の質問が来る。
そして
技術士になったらどんな技術士になりたいですか。これは全く根拠がない話だが、この質問があったら合格は近いといわれる。一通りの質問が終わった。
最初あれだけ緊張していたのに、少しづつ落ち着いている。答えられない質問ではないからだろうと思う。
しかし、しゃべりすぎて墓穴を掘らないよう注意しなければいけない。よく興が乗ると必要のないところまでしゃべり、勝手に解釈してしゃべる悪い癖がある。
すると、試験官が変わった。メガネの試験官にバトンタッチである。この人の登場で試験の雰囲気はガラッと変わった。
さっき質問のあった事項を別の言葉で再質問されているような気がした。しかも問い詰めるようなきつい口調である。
こりゃ誰が決めたんだ?
最初から決まっていたのではないか?
自分で考えているのか?
後付で書いたんではないか?
プランを押し付けているのではないか?
などなど。よくも初対面の受験者にこんなことを質問するなと思ったのだが。
途中で気がついた。こりゃ圧迫面接だ。試験勉強で技術士会の模擬面接を受けたときエリャー荒っぽい質問をするなーと思ったのだが。「試験官とは議論をしてはいけない」「ひとつ呼吸をおいて冷静に答えること」「聞かれたことだけ答えて反論はするな」「わからないときはわかりませんと言え」と言われたことを思い出した。
しかし、答えに窮するようなことばかり聞かれる。きっと答えはないのだろうが、苦し紛れに必要ないことまでしゃべりそうになる。いや、答えらしきモノにすり替えようとしている。あぁきつい。
「時間がないのでここで終わる」突然、メガネ試験官の論文質問が終わった。これがこいつはダメと思って終わったのか、それともヨシとして終わったのか、それはわからない。
そのあと技術士制度や都市計画に関する質問が続いた。墓穴を掘らないように集中して答える。
最後の質問は技術士と技術者の違いは?
私の答えに、それは同じことではないか?と試験官に聞かれ「いや違います!」と答え、自説を話したところで試験は終わった。
最後は反論していたのである。が、それも仕方あるまい。
「どうもありがとうございました」立ち上がり礼を言うと、また入り口で礼をして部屋を出た。エレベーターに乗るとガックと疲れが出た。
重い足取りで渋谷の人ごみの中を歩いている。のどが渇いた。が、缶ビールを立ち飲みできるところはない。恵比寿まで行こう。
東京にはたくさんの美術館、博物館がある。やはり東京には富が集中しているなーなどと関係ないことに感心する。
山種美術館に行くつもりだったが、恵比寿ガーデンプレイスの写真美術館に入る。しかし、落ち着いて作品を鑑賞できるような状態ではない。昨日からの緊張が解けたとはいえ、さっききつく問い詰められたのである。
さっさと美術館を出ると、喫茶店で質問事項をノートにメモる。
4時50分渋谷のハチ公前で東京のかつての同僚と会う。わざわざ来てくれたのである。
居酒屋に入り、試験はきつかったと伝えビールを飲み食事をする。なかなか盛り上がらないのだが、3月発表まではわからんなー。
二時間ほどで店を出ると、来年必ず東京来ること。そして再会することを誓い。別れたのであった。
これで東京での予定は全て終わった。4月からの奮闘も区切りがついた。試験の発表は3月5日である。この9ヶ月、奮闘、努力してきたが技術者として少しは成長できたであろうか?
今、グローバル化と地球規模の環境問題が毎日のように新聞を賑わせている。技術の世界も変化と進歩が著しい。
方向を見失わないように。浦島太郎にならないように。常に現場で仕事をするものは考えなくてはなるまい。
今年はこれで終わりとなるが、少しは充実していたように思う。また来年も挑戦を続けていかなくてはならない。
コンコード環境デザイン研究所 梅田