蔵書目録

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「支那俳優 梅蘭芳」他 (1919.6)

2011年04月26日 | 中国戯曲 京劇 梅蘭芳東渡

 『演芸画報 第六巻第六号』 大正八年 〔一九一九年〕 六月 には、梅蘭芳の最初の訪日公演の関連写真・記事がいくつか見える。

 口絵には、下の写真などがある。

 ・梅蘭芳の天女 姚玉芙の花奴(帝国劇場五月狂言「天女散花」)
 ・梅蘭芳
 ・帝国劇場五月狂言支那劇天女散花 (黛玉葬花)



 ・中村福助氏 梅蘭芳氏 中村歌右衛門氏

 本文には、次の文などがある。

 ・支那俳優 梅蘭芳 松田竹の島人 
   ※写真5枚:梅蘭芳の「一縷麻」、梅蘭芳の「晴雯撕扇」、梅蘭芳の「穆柯塞」、梅蘭芳の「桃華車」、梅蘭芳の「霞姑」
 ・支那劇座談 李文権 
   ※写真3枚:梅蘭芳の「玉堂春」、梅蘭芳の「天女散花」の天女、「天女散花」梅蘭芳の天女と姚玉芙の花
 ・支那劇梗概 紹介子 
   ※写真4枚:梅蘭芳の「酔貴妃」、梅蘭芳の「虹霓関」、梅蘭芳の「黛玉葬花」2枚

 また「劇壇近時画報」にある写真は、次の2枚である。

  ・梅蘭芳到着の日、帝劇の表で撮影したもの 右より宗之助梅蘭芳大倉男梅幸姚玉芙幸四郎 〔下は、より鮮明な絵葉書のもの〕

   

  ・梅蘭芳一座の楽師
 なお、「楽屋漫歩記 ー帝国劇場と歌舞伎座ー 金子伴雨」には、「梅蘭芳の部屋」なる文もあり、帝劇の梅蘭芳の楽屋やその化粧の様子が詳細に紹介されている〔写真2枚:「部屋に於ける梅蘭芳(下の写真)」、「御碑亭」梅蘭芳の孟月華〕。

   

下は、その一部。

 集合室の扉を開けば、十八畳敷の広間も、支那服と洋服の附人に埋められて狭隘を感じる程である。目的の梅蘭芳は正面の中央に造り立られた、幅一間、竪九尺の大鏡の前にに、一間竪三尺ばかりの白木の台を置き、其の上に楕円形の小鏡二ツを乗せ、黒地に白立縞の洋服で、高襟をかけ、黒地に萌黄で模様を織出したネクタイをかけ、泥にまみれぬ編靴は流石に清国人だと諾れた。長髪ならで天窓の真中から分けたハイカラ髪、丸顔でバッチリとした眼に愛嬌を漂へて、幸四郎を迎える

 白粉下には蜂蜜を全面に塗り、杭州産の白粉、砥粉及び生臙脂などを材料として顔の化粧を仕ますが、現今では往時の化粧と違ひ、眉毛の如きも誇張した引方を避けて写実となり、実地によつて美化すると云ふ描きかたです、それには明朝時代に出版された『画眉十品』などゝ云ふ書物は参考になります。



この写真は、『歴史写真』(大正八年六月号:第七十四号 歴史写真会発行)に掲載されたものである。

 支那劇壇の花形役者梅蘭芳妻と其扮装天女   ※<>は読めず

 Mei-lan-fan, famous actor of China, and his wife and “Teanyo (angel) acted by him.”

 支那北方の名優梅蘭芳は夫人王氏と共に東京帝国劇場の招きによつて大正八年四月二十五日午後八時半着の急行列車で入京した、梅優は鼠青の中折に天鵞絨の襟の附いた外套へレースの襟巻をし、銀ののついた洋杖を持ち、左の指には婚約指環を光らせてゐた。其の容貌は支那人には珍しい色の白い如何にも愛嬌のある若人であるが、彼の道楽は鳩と朝顔、音楽に時代<>、舞踊、脚本創作等に趣味を持つてゐるといふ事である。帝国劇場に現はれたのは五月一日からであつたが、その艶麗なる容姿と嬋娟たる妙技とは満都の人気を聚めた。写真は宿所帝国ホテルに於ける梅夫妻と一は将に舞台に出でんとして「天女散花」の天女に扮せる(左)並べるは姚玉芙である。



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