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GRAND ORCHESTRAL CONCERT
IN WELCOME OF
KOSCAK YAMADA
UNDER THE PATRONAGE OF
VISCOUNT K.KANEKO
BARON K.IWASAKI
SOUVENIR PROGRAMME
「赤い鳥」一周年記念
山田耕作氏歓迎
出征日本軍隊慰問
「赤い鳥」音楽会曲目
賛同 金子子爵
岩崎男爵
TEIKOKU THEATRE
SUNDAY AFTERNOON,JUNE TWENTY SECOND
1919
演奏曲目
合唱(挨拶の代りに) 少女廿名
伴奏 佐藤節子
(い)かなりや(西條八十) ‥‥ 成田為三
(ろ)あわて床屋(北原白秋)‥‥ 石川養拙
(は)夏の鶯(三木露風) ‥‥ 成田為三
1 管弦楽 指揮 山田耕作
オーヴァチュア(前奏曲) ‥‥ 近衛秀麿
2 管弦楽 指揮 山田耕作
管弦楽組曲 ‥‥ マクドーウェル
(い)森の妖怪
(ろ)夏の牧歌
(は)十月
(に)羊飼の歌
(ほ)森の精
3 音詩 指揮 山田耕作
青い焔 ‥‥ 山田耕作
4 ヴァイオリン独奏 佐藤謙三
伴奏 佐藤節子
バラード ‥‥ ビュータン
5 独唱 外山邦彦
伴奏 佐藤節子
(い)木の洞(三木露風) ‥‥ 成田為三
(ろ)嘆(三木露風) ‥‥ 山田耕作
(は)ひばり(三木露風) ‥‥ 成田為三
(に)踊り子の歌 ‥‥ 山田耕作
6 ピアノ独弾 ペッオルド
(い)バラード グリーグ
(ろ)謝肉祭 グリーグ
7 管弦楽 指揮 山田耕作
シンフォニー第四 ‥‥ チャイコウスキー
(い)アンダンティノ、イン、モド、カンツォーナ
(ろ)スケルツィオ
8 管弦楽 指揮 山田耕作
舞踏曲 ‥‥ スキルトン
(い)鹿猟の踊
(ろ)出征の踊
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世界楽壇に於ける山田耕作氏の位置 鈴木三重吉
目下東京の社交界は、わが山田耕作氏の米国音楽界に於ける絶大なる名声に対する驚愕と、氏についての日本人の共同の誇りとに充たされてゐる。
これまでにも音楽好きの人々は、氏が全然独自的な努力によって、日本の最初の作曲家として特種の地位を開き、日本の音楽的創作を導いて来た、真の第一人者であったこと、及び、氏が外人の指導を絶って日本人のみの管弦楽を組織し、指揮者としても最初の芸術家であったことを認めてゐる。けれども氏のこの両方面の芸術を世界の音楽界へ持出して果してどの程度の輝きと権威とを誇り得るかといふことは、恐らく、氏自身の外には、何人も仮想だもしなかったに相違ない。尤、氏はすでに今から十年も前に、独逸に留学中、年二十を出づること僅両三年のとき、楽劇「第七の天女」(The seventh Tennyo)に作曲し、それが一九一四年の伯林の夏興行に採用されたといふ如き天才的飛躍を見せたことがある。氏はその上演の衣裳を調へる為めに、不意にわれゝの間に帰って来た。併し、氏の折角の歓びと希望とは、同年の夏、世界戦乱が勃発すると共に消滅してしまった。
次で氏が米国の音楽界を視察すべく再びわれゝの間を立ったのは、一昨年の十二月であった。そして紐育で徐々にその天分を公認され遂に昨年の十月、同地カーネギー・ホールに於て、いずれも米国第一流の音楽家たる、Svederofsky, Skolnick, Herner, Borodkin, Sordero, Loitito, Laucella, Reiter 氏以下、九十五人の楽手と、同じく有名なる Koemmenich の率ゐてゐる紐育の New Choral Society の合唱団百五十名を指揮して、氏が独逸留学中に作曲した「秋の祭」(The Autamn Festival)と、あとは総て帰朝後の創作たる「御即位奉祝歌」(Coronation Prelude), Maurice Maeterlink の戯曲を取って作曲したる Choreographic-symphony “Maria Magdalene”, Symphomic poem 「黒い扉」(The Dark Gate)「斑の花」(Madarano Ha na)を演奏し、同時にこれも米国第一流の声楽家 Whitehill 氏をして同じく氏の作曲「漁師の歌」(FIsher❜s Song)「花の歌」(Flower Song)「今様」(Imayo)「帰り路」(Homeward Bound)「道成寺の鐘」(The Bell of Dojoji)「踊り子の歌」(Song of the Dancer of yedo)其他の小曲を、英訳又は日本語にて独唱せしめ、次で今年の一月に至り、紐育エーロリアンホールに於て、九十名の管弦楽手を指揮して、Wagrer もの数曲の他に、すべて氏の作曲たる Classical form の Symphony たる「勝利と平和」(Triumph and Peace)を演奏して、群抜なる作曲家指揮者として、紐育の聴衆と一流の音楽批評家とを驚倒せしめたのである。音楽の批評に於て最多くの権威を有せる、Koven, Krehbiel, Tink, Liebling 諸氏は、氏を論評して、嘗て米国に生れ、又は留りたる最高の音楽家の一人として推奨するに躊躇しなかった。氏はその為に米国一流の音楽家の団結で、これに附属しない限りは、音楽家として何事をも仕遂げることが出来ないと言はれてゐるほどの、相異った三つの権威ある音楽家協会、American Musician Association 及、MacDowell Club, Modern Musical Society の名誉会員に推薦された。
これ等の協会は、従来有色人の音楽家は一切排斥して加入せしめなかったものである。
上記の Koven氏(New York Herald の記者)は「山田氏は指揮者として偉大なる才能と非凡なる熟練と創造力と、管弦楽的表現の力を備へたる楽師」だと称揚し、「作曲の方面に於ては、自由に近代フランス流の様式を駆使し、その広く、強大なる調律に於ては、Strauss 又は Mahter の最高の作品に比肩すべく」「情緒的、戯曲的表現の真実なる力量と、思想の発表については、適確なる手法と技巧とを示してゐる。」と言ってゐる。 Krehbiel 氏(New York Tribune記者)は「作曲に於ても、氏は指揮の場合に於けるが如く、根底深き、確信的な、巧妙な音楽家である。」と推奨し、「完全なる畏敬と、絶大なる嘆称と」に値することを保證してゐる。その他いづれも、氏の指揮の楽々たる自由さと、確実と、優雅と、氏の作曲家としての色彩的微妙と感情の独自性とを称讃しないものはない。或評家は、氏の独特なる日本的感情の表出について、音楽的描線の節約を北斎の線の簡素に比較してゐる。氏は英国からも多大の信頼を受け、倫敦の Prough Movement のために、合唱、管弦用の組曲を作曲するの依頼を受けてゐる。同氏が紐育に於て発行したる曲譜集は、すべてゞ数十に達してゐる。目下氏は、紐育の Dippel Opera Company の総音楽長の地位を保ってゐる。
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紐育カーネギー・ホール・に於ける山田耕作氏指揮
第一回管弦楽演奏会(指揮台に立ってゐのが山田氏)
A scene of Carnegie Hall, New York, on the first orchestral concert, given by Kocak Yamada. He is shown on the conductor❜s platform and at his right is Clarence Whitehill, and on the left is seen Charles A. Baker, who handled the organ at the concert. In the rear are menbers of the New Choral Society, who sang several of the Yamada❜s works for massed voices and orchestra. (Reprinted from the Musical Courier, issue of November 7, 1918.)
「赤い鳥」の標榜語
〇われゝは西洋人と違って、哀れにも殆未だ嘗て、子供等のために純麗な読物を授け、子供等に向って真に芸術的な謡と音楽とを與へてくれる、彼等自身のための特別なる作家、詩人、音楽家の存在を誇り得た例がない。
〇たゞ独り「赤い鳥」は、在来の世俗的な下卑た子供等の読物と貧弱低劣なる子供の謡と音楽とを排除して、彼等の真純な感情を保全開発するために、現代第一流の作家詩人、作曲家の誠実なる努力を集め、兼て、子供のための真価ある若き創作家、音楽家の出現を迎へる、一大区的劃運動を導いてゐる。
〇「赤い鳥」は、童話に於ては、只単に話材の純清を誇るのみならず、全誌面の表現そのものに於て、一般日本人の表現の規範を授けてゐる。特に鈴木三重吉氏選出の「募集作文」に到っては、すべての子供と子供の教養に任ずる人々と、その他のすべての国民に向って、真個の文章の活例を教へる機関として世間を驚倒せしめてゐる。その他北原白秋氏選出の子供の自作童謡の如きも、われゝの誘掖一つで彼等からいかに自由な、いかに麗しい感情を繰り出すことが出来るかを語ってゐる。
〇赤い鳥の運動に賛同せる芸術家は、泉鏡花、小川未明、小山内薫、徳田秋声、谷崎潤一郎、高濵虚子、野上豊一郎、野上彌生子、久米正雄、久保田万太郎、松居松葉、小宮豊隆、江口渙、有島武郎、有島生馬、芥川龍之介、秋田雨雀、西條八十、佐藤春夫、北原白秋、菊池寛、三木露風、島崎藤村、森林太郎、森田草平、鈴木三重吉の諸氏其他十数名。殆現代名作家の全部を網羅し作曲家に山田耕作、成田為三、近衛秀麿の三氏を、装画家に清水良雄氏を擁することを独り窃かに誇りとしてゐる。
「赤い鳥」の童謡(挨拶に代へて少女諸子合唱)〔各歌詞は省略〕
かなりや 童謡 西條八十 作曲 成田為三
あわて床屋(当選作曲) 童謡 北原白秋 作曲 石川養拙
夏の鶯 童謡 三木露風 作曲 成田為三