den 13.ORt.1917.7½
YAMADA ABEND
PROGRAM
山田耕作氏
作品自奏音楽会
曲目及梗概
音楽奨励会第廿七回演奏会
題歌
ことくにの
はなはあれとも
しきしまの
やまとこころの
やまさくらはな
曲目
第一部
一、兒供とおったん 十章 一九一六、七、二四
二、黎明の看経 一九一六、十、二四
三、源氏楽帖抜粋
い、花の宴の巻より 一九一七、三、二五
ろ、花散る里の巻より 仝 三、二一
は、須磨の巻より 仝 三、二四
四、舞踊詩「靑い熖」 一九一六、三、 八
五、更衣詩曲「哀詩」 一九一七、一、一五
-瀧廉太郎氏作「荒城の月」を主題として-
第二部
六、更衣曲「散り逝く乙女」 一九一六、八、 五
-澳国民謡を主題として-
七、い、牧場の静夜 一九一七、四、二一
ろ、壺の一輪 仝、 五、 二
は、月光に棹して 仝、 四、二九
八、バラーデ「ねたみの火」-初演- 仝、 九、二〇
九、い、夜の詩曲 仝、 三、二〇
ろ、スクリアービンに捧ぐるの曲 仝、 四、二八
は、聖福第一章ー(初演)ー 仝、 七、二一
十、舞踊詩劇「マグダラのマリア」ー(初演)ー 一九一六、三、一三
-モーリスメーテルリンク氏作同名の戯曲に因る-
御挨拶として
音楽奨励会の御希望に応ずるのはこれが二度目でございます。第一回目は去年の一月でした。その時は私が滞欧中に作った独唱曲が主で、ピアノ曲が客でした。殊に私は伴奏者としてポーディウムに出たゞけで、演奏はその道の専門家にお願ひいたしました。
しかし、今夜の会は、前回のとは種々の点に於いて変って居ります。発表する曲が全部帰朝後のピアノ曲なのと、ピアノには極めて未熟な私が自奏するのです。出来るものならば演奏は専門家にお願ひしたいのですけれど、今の日本では、短時日の間に今晩の曲目全部をこなして演奏して下される方も探し得ないので、誠にお耻しい技術で汗顔の至りですが、「作者の意を直接に伝へるには、下手でも作者自身が奏いた方がよい」といふ言葉に僅かの力を得て、自作自奏の暴挙を敢えてする次第でございます。
曲目中、「聖福」「バラーデねたみの火」及「舞踊詩劇マグダラのマリア」を除く他は総て、去年の十一月と今年の七月に開いた、私の作品発表会に出したものでございます。その中に「牧場の静夜』「壺の一輪」「月光に棹して」「スクリアービンに捧ぐるの曲」「源氏楽帖」「更衣詩曲哀詩」等は会の御希望で特に加へました。
更衣曲と云ふのは、ヴァリアツィオーネンの訳語です。従来あった替手曲、変化曲などの訳語は余りに逐次的で香りもなく響きもない字なので、体は一つでその装を更へるヴァリアツィオーネンの性質から、かう云ふ訳字を作って見ました。従って更衣詩曲と云ふのは私の謂ゆるポエーム ヴァリアツィオーネンの訳語です。
この会では、実はヴァイオリン楽曲を出すお約束でしたが、この二三ヶ月以来、二三年あまり気のすゝまなかった独唱曲が書けたので、遂にヴァイオリン曲の方は一二曲しか完成しませんでしたので、この次の会迄待って戴かねばなりません。
新作の独唱曲の中でも、五曲からなる「澄月集」は、和歌をはじめて独唱曲として作りましたもので、私には可成の自身もあり、また楽式史の方面から見ても極めて興味ある試なので、いゝ機会を得て、近い中に発表し度いと思って居ります。
私の恐れるのは、今夜の曲目が少し重過ぎはしないかと云ふことです。殊にピアノには不馴れな私が奏くのでございますから嘸 さぞ 御退屈であらうと存じます。どうか、自作自奏の冒険を敢えてする私のある信條と熱心さに免じて、私の拙技をあなた方の愛で緩和して、どうかあなた方御自身が直接に作品の奥に進み入られて、私を通して流れいづる、ある声を御聞きゝ下さる様お願ひいたします。
事情がゆるせば、私は今年中に渡米する予定でございますから或はこの会で皆様ともしばらくお別れになる事と思ひます。それ故この会は何となく私には意味のある会の様に思はれます。
終りに私は、この会を催して下さる奨励会の方々に厚く御礼申上ます。
大正六年十月十三日 青山にて
耕作
一、兒供とおったん
二、黎明の看経
三、源氏楽帖抜粋
い、花の宴の巻より
ろ、花散里の巻より
は、須磨の巻より
四、舞踊詩「靑い焔」
「古城の薄暗い一室。室の中央には、人の胸にも及ぶ程の生血 ナマチ で塗り上げられた樣な赤い柱が立って居る。室の前方の左右には綠靑色の香爐が置かれてある。白い烟が絶え間なく上って居る。
中央の血の柱の頂上に、俄然眞靑な気味の悪い樣な熖が弱く燃え出す。それと同時に室の左右の奥から二個の人影が現はれる。男は左の手頸に縄を結むで、その餘りを左腕に輪にしてかけ、縄の他の一端を右手に握って居る。女は全くそれと反對にして。二人は共に、極めて薄い、孔雀の模樣の樣な衣を、身に纏ふて居る。二人ともに髪は亂して極めて憔悴して居る。
二人はいつの間にか、その血の柱を構むでその握って居る縄の端を交換した。と同時に熖は高く燃え上った。二人は驚き倒れ、羞耻らふ様に左右の香爐へといざり行く。將にその手が香爐に觸れ樣とした時、縄は張り切って二人は、急にまたもとの血の柱へとひき戻される。しばし二人は背を合したる儘に黙して佇立して居る。然し二人は相見ずに居られなかった。二人は縄を力に、血の柱を間にして相擁した。焔は惡鬼の笑の樣に猛り狂って、強烈に燃え上った。繩は燒けて、二人も左右に倒れて了った。二人の口からは鮮血が流れた。其時、血の柱も靑い熖も消えて見えない。香爐の烟のみたゞ靜かに立ち上って居る。
二人の屍には蛇の樣な縄が巻きついて居る。何處からともなく差し入る柔かい朝の光は二つの屍の上に平和に輝いて居る』
五、更衣詩曲 ポエム、ヴァリアツィオー子ン 「哀詩」
-故瀧廉太郎氏作「荒城の月」を主題として作る
帰朝以後作り出した、私の所謂「ポエーム」なる形式は、私には段々と親しみの深いものとなりまして、遂に、其の形式に基いた、一つの新しい、「ポエム、ヴァリアツィオーネン」と云ふ様なものが生れて来ました。この傾向は併し、私には、余程依然から、私の内に潜むで居た様に思はれます。少くとも、私が私の母のために作った、「ハ長調のヴァリアツィオーネン」を御存じの方は御首肯下さる事と信じます。
一体「ヴァリアツィオーネン」なる形式は、極めて、興味深いものなので、殆ど総ての作曲者の愛用する處となって居ります。然し今日迄のそれは、全然、形式から形式への変移してゆくものと定められて、内容から内容へと連接進展するものは、殆ど皆無の様に思はれます。これは私の浅学からの独断ではありません。然し、その何れにしても、近代楽が、形式よりも内容に重きを置く様になった今日、かうしたものゝ生れるのは、極めて当然の事と思ひます。
従って、この「哀詩」一篇は、各章共に、それ自身、独立し得る生命を持ち乍ら、同時にそれが、各章相互には、なくてならぬ様な、恰も有機体の一つの様な、極めて密接緊要な関係を持って居るものであります。
私が、この「哀詩」を単に「ヴァリアツィオーネン」と呼ばないで、特に「ポエーム」なる一語を冠したのはこの故に他ありません。
私はこの曲を作ると共に、吾が国最初が作曲者とも云ふべき、先輩、故瀧廉太郎氏の凡ならぬ楽才を驚嘆し痛ましき氏の夭折を吾が楽界のため深く悲しむものでございます。
序章 云ひ知れぬ吐息。と共に、ふと響く、過ぎし日の華麗なる思出で。しかもそは、逝きし日のものなれば、追ふに従ひて消えうすれゆく。のころはたゞ、深き、失ひしもの、嗟嘆 さたん の声。かゝるとき、人は歌ふ。
主 「春高楼の花の宴、
めぐる盃かげさして‥‥‥‥」
一章 やる瀬なき怒りの心。
二章 美しかりし日の讃美。
三章 また、すゝり泣き。
四章 かくて失へるものゝ心には、怒り喜び、嘆きの果てに、過ぎし日の現実 ありのまゝ なる世にめざむ。驕り誇れる興宴。
五章 咲き乱れたる花のもとに、盃めぐらせて、歌ひ遊ぶ一群。
六章 酔ひ且つ舞ふさなかに、もの凄き不凶なる響の漂ふあり。
七章 されど乱舞狂踏はつづく。その時馬に鞭ちて馳せ来る急使あり。
八章 かゝるうちに、城門押開きて、進み出づる勇士の流れ見ゆ。
九章 そを送る骨肉の悲み。行くものゝこゝろ、
十章 されどそれ等も、一切 すべて は過ぎ逝きし日の思出でなるを。
十一章 かくて、その幻は、朧なる、いく重もの霞みの衣きて、嘆息 ためいき の淵に沈む。
結章 過ぎ逝きし栄華も、そを思ひ出でゝ嘆く人も、また、ひとり静かに立つ荒れたる城も、そはみな人の世の現れぞかし。されど、それ等のものゝ奥に潜める力。荒れはてたる城の上に寒く照る月。何処ともなく聞ゆる夜半の鳥声と。
休憩 ■ー二十分ー■
六、更衣曲 ヴァリアツィオー子ン 「散り逝く乙女」
七、イ、牧場の静夜
ロ、壺の一輪
ハ、月光に棹して
八、バラーデ「ねたみの火」
本野外相並に令夫人に捧ぐ
九、イ、夜の詩曲
ロ、スクリアービンに捧ぐるの曲
ー忘れ難きモスコーの一夜ー
十、舞踊詩劇「マグダラのマリア」の第二幕
大正六年十月十三日(土曜)午後七時半ヨリ
本郷追分大学々生基督教青年会館ニテ