蔵書目録

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「報告」他 木瓜原狂病院 三上天民 (明治)

2019年10月05日 | 医学 2 病院、病気

 

 

狂病院



 報告

 抑 そもゝ 狂病院を設立する起因たるや我祖先より伝ふる処の狂病薬及び摂生療法を以て古来 むかし より私宅に於て狂病治療せるを世の人知る所にして洛北ぼけわら狂治療の専門家と称する所に至れり曩 さき に明治八年七月洛東南禅寺精舎に於て公立京都癲狂院設立せられ創業 はじめ より予癲狂院医員続而 つゞいて 専務拝命し専ら療方に従事する事凡そ七年間なり明治十五年春願に依而 よりて  職務を辞し爾後私宅に於而 おいて 狂病治療施せり挽近 ばんきん 江湖に狂ひの多 おほき わ恐 おそら く 文明之度に応じて増加する事と実験せり依而今般伝来の狂治療法を以て盛大に本症治療を施さんと欲し官に請願し允許 ゆるし を得て木瓜原 ぼけわら 狂病院を設立し其位置たるや野に傍 そ ひ山に対し朝暮四季の景色を詠 なが め其地閑静にして神気を保養し身体を健全する無二の佳地と謂 いう へし

 患者 ひやうじや 入院定則

 一 入院賄料看病人費共一日分
    上等 金三十銭 
    中等 金貳拾銭 
    下等 金拾五銭
 一 患家 ひやうか の貧にして会計の乏しき者施療施薬たるへし
   然れ共妄 みだ りに入院費を許さず
    但し鰥寡 くわんくわ 孤独赤貧の者は相対を以て入院費定則の外入院せしむることあるへし
 一 薬品鶏卵 たまご 総而 をそへて 澁養品 しようひん 別菜等は別に計算すへし
 一 狂症 きちがい 暴劇に入院せしがたき者わ患家の求めによりて往診の上入院せしむへし
    但往診料は定則あり
 一 患者入院を願ふ者は入院証書に願人証人のニ判を以て事務局へ納むへし

   上京区第三組寺之内通り大宮西え入
   二丁目北え入ぼけわら町
    京都木瓜原狂病院 
    

院長 三上天民   (印刷 一條烏丸 山口活版所)

  

抑本院ヲ設立スル起因タル我家祖先ヨリ伝フル所ノ薬剤及摂生法ヲ以テ私宅ニ於テ狂症ヲ治療シ其効験ノ較著ナル世人ノ稔聞スル所ニシテ洛北木瓜原狂治療ノ専門家ト称スルニ至レリ曩ニ明治八年七月京都病院ノ支院ヲ洛北南禅精舎ニ設立シ公立癲狂院トナスニ創業ヨリ予癲狂院医員ヲ拝命シ専ラ療方ニ従事スルコト凡七年間ナリ明治十五年春事故アリテ職務ヲ辞ス爾后私宅ニ於テ本症治療ヲ施セリ挽近湖ニ狂病ノ多キハ恐ラクハ文明ノ度ニ応ジテ増加スルコトヲ実験セリ然ルニ客年公立癲狂院ヲ廃止ノ挙アリ因テ予木瓜原狂病院ヲ私立セシコトヲ官ニ請願シ客年十月允許ヲ得テ終ニ本院ヲ設立セリ爾来益狂治療ヲ盛大ニ施シ且ツ無告窮民ノ如ニハ施療施薬シ以テ病苦ヲ脱シ職業ニ就クヲ得セシメント欲ス予恤窮ノ素志ヲ抱クコト久シ固ヨリ仁術ノ本職タリト雖モ資金欠乏ノ憂ナキ能ハス況ンヤ鰥寡ニシテ赤貧ノ者ハ薬食共ニ施等セント欲スルニ於テハ公衆慈善者ノ補助ヲ俟テ十全ノ宿意ヲ達スルヲ得ヘシ冀クハ公衆ノ慈善者各自一分ノ余 損シ以て此挙ヲけ以テ大ヲ謀ランコトヲ希望ス

   上京区第三組寺之内大宮西へ入
   二丁目北ニ入木瓜原町
    木瓜原狂病院 
    
院長 三上天民   (印刷 一條烏丸 山口活版所)

 なお、下の写真は、三上がこの病院設立以前に勤めていた療病院の創業関係の告諭である。『布令書』六十四~六十五頁 辛未十月 京都府

  


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