大正三年十月女優劇
オツフエンバハ作 小林愛雄譯 ローシー指導
第一 喜歌劇 天国と地獄 四場
並木宗輔原作
岡本綺堂脚色
第二 時代劇 石橋山 二幕
太郎冠者作
第三 増補改訂 喜劇 唖旅行 四幕 五場
Soda San in London
秋の劇壇を彩る
帝劇一流の花形
女優劇の権威 オーソリテー
=他では眞似られぬ獨特の長所=
帝劇作者主任 二宮文學士談 〔下はその一部〕
第三 喜劇 唖の旅行
これが女優劇の最も光彩ある出し物であって、作者は喜劇に一流の妙味を有した太郎冠者君だけに、見るから面白く、殊に其の帝劇で上演するために、特に増補し改訂せられて、出場俳優に嵌 はま るやうにせられたゞけに、役々の生きて活動する上に、すべてが眞に迫って居る、それに現代を背景としてあるだけ、見て實際が首肯 しゅこう され、而 そ して事實あり得べき事だけに、一層の感興が深いのである、
第三
序幕 神戸港香取丸甲板の場
一 大野富三郎 宗之助
一 事務長 高麗之助
一 井筒の女將お花 房子
一 藝妓 繁男 嘉久子
一 舞子 豆奴 早苗
一 双田宇介 松助
一 前島進 長十郎
一 事務員 律子
一 同 菊枝
一 舵手 麗重
一 同 宗右衛門
國之助改
一 船長 四郎五郎
一 三等運轉手 錦吾
一 日の出商會支店員 三幸
一 西村手代峯吉 有平
一 乗客 支那人 錦彌
一 同 婦人 蝶子
一 事務員 澤右衛門
一 同 柏木
一 司厨長 錦五郎
一 同 三代造
一 水夫 服部
一 同 櫛木
一 同 石井
一 靴直シ しやこ六
一 雑貨商 横藏
一 端書や 桃次
一 見送人 錦車
一 同 にしき
一 同 宗三郎
一 同 宗彌
一 同 三之助
一 同 小島
一 同 高田
一 同 しづ子
一 同 すみ子
一 同 增野
一 同 ふみ子
一 乗客 松藏
一 同 南部
一 同 葉須
一 同 小幡
一 同 モリノ
一 同 百合子
一 同 麗子
一 同 たかね
一 同 喜久代
一 同 せい子
長唄音樂師社中
太郎冠者作
第三 増補改訂 喜劇 唖旅行 四幕 五場
Soda San in London
『序幕、神戸港碇泊香取丸甲板の場』舞臺一面大阪灣神戸港の光景にして、遙に摩耶、六甲の連亙 れんこう より、和田岬の燈臺を臨み、港内には帆檣 はんしょう 林立し、埠頭の大桟橋には、日本郵船會社の新造船香取丸は、一萬五百二十六噸 とん 山の如く堂々たる雄姿を横 よこた へ、將に歐洲航路に向はんとして、盛 さかん に煙を揚ぐ、歌劇式 オペレット の水夫歌にて幕上ると、乗客、見送人大勢右往左往し、別離を惜しむもの、嬉々として歸國の途に就くもの、荷物を持込むもの、甲板上一時に雑沓を極むる内 なか に日の出貿易會社倫敦支店長大野富三郎は、馴染の大阪藝妓 げいしゃ 繁勇 しげゆう 、南地井筒の女將お花、舞子豆奴、日本橋の羅紗問屋双田 さうだ 宇助の見送りを受けて出來 いできた り、別離を惜しむ繁勇が涙に、我乍 なが ら罪な事をしたと、天下一の色男となり濟まし、ダイヤの指環 ゆびわ を強請 ねだ られる事など宜しく、凡て大腹中の英國仕込の紳士風を發揮したる迄は宜かりしも、昨夜 ゆうべ の勘定より、神戸迄の見送りの汽車代、歸路 かへりみち の車代迄請求さるゝに及び、流石の色男も少々悲歡して了 しま ふ、繁勇等は大野、事務員丙丁を相手に日本タンゴを踊り、下船を促す銅鑼 どら の音に驚き、双田の既に降りたるものと思ひ、慌てゝ船を立去る、然るに愍 あはれ なる双田は少しも之を知らず、同じく乗客の一人なる前島進と云へる悲歌慷慨の士に、煙草の火を借りしが緒 いとぐち にて、彼が滔々たる日本人の海外発展策の演説に引込まれ、船の動き出したるも少しも知らず、一心に彼が説を傾聽するを、大野出來りて見て吃驚 びっくり し、双田に注意すれば、双田は半信半疑にて周圍 まはり の景色を眺め、 双『アッー大變だ、船が出ちまった!』 大『君何うする気なんです』 双『何うするゝ、是りや斯 か うしちや居 ゐ られない、オイ船 ふね 船長、小 こ 蒸気!待つて呉れ!人殺し!』 大『冗談言つちや可 い けない、双田さん、騒いぢや可 い かん』 双『デモ、豆奴、畜生おいてき堀、オイ船、船長を留 と めろ、待つて呉れ、オーイ』と狂気の如く荒廻り、遂に舞臺前の手摺 てすり より海中へ飛込まんとするを、大野、前島其他にて抱留る模樣にて幕。
二幕 倫敦市ピカデイリー街
モニコ料理店外の場
一 猶太の紳士 石井
一 同 岸田
一 乞食音樂師 菅
一 號外賣の小僧 銀杏
一 モニコ料理店ボーイ 小治郎
一 同 柏木
一 双田宇助 松助
一 大道商人 宗右衞門
一 同 三代造
一 花賣娘 勝代
一 同 靜枝
一 捨子の母 壽美代
一 田舎者の夫 錦五郎
一 同 妻 重子
一 巡査 幸四郎
一 大道果物商夫 松山
一 同 婦 はま子
一 大野富三郎 宗之助
一 芝居行の紳士 高麗之助
一 同 夫人 蔦子
一 ローズ、ビウフォルト嬢 律子
一 リリー嬢 菊枝
一 ヴァイオレット嬢 かね子
一 兵卒 錦車
一 サンドヰツチメン(廣告屋) しやこ六
一 メッセンヂャボーイ(使屋) 宗彌
一 靴磨の小僧 宗三郎
一 女コック 愛子
一 往來の紳士 南部
一 同 小島
一 同 高田
一 同 婦人 磯代
一 同 百合子
一 同 桂
一 同 年枝
『二幕目、倫敦 ロンドン 市ピカデイリー街、モニコ料理店兼酒店外の場』倫敦流行節の音樂にて幕明けば、正面下手寄に同市中最も賑やかなるピカデイリー街モニコ料理店の正面入口、及美しき内部を硝子越しに見せ、上手下手とも同所近隣火入の遠見、倫敦市中雑沓 ざつたう の夜景、料理店入口兩側の人道に、小形の白の蠟石製のテーブルを圍み、美酒に咽 のど を潤して談笑する紳士婦人數名、料理店に出入 しゆつにふ する男女、忙しく立働く給仕 ウエーター 、其他種々 さまゞ の通行人を出 いだ し、觀客をして宛然 あたか も身倫敦市中に在 あ るの思ひあらしむ、今しも料理店外に談笑中の甲乙二人の猶太 ジユダヤ 紳士、何やらん連 しき りに打興じ居る矢先に、一見ボヘミヤ人らしき乞食音楽師、ヴァイオリンを持って面前に立ち塞がり、怪しげなる聲を出して歌ひ立つれば、兩人は五月蠅 うるさ がり乍 なが らも、賭 かけ をなし、負けたる方は一片 ペンス を出して乞食を追返す、號外賣の小僧紳士が談笑に餘念なき隙を窺ひ、卓子 テーブル の下より手を出し、洋盃 コップ の酒をの飲干して遁 にげ 出せば、兩紳士は大に怒り、小僧を追ふて下手に入る、前幕の双田宇助船に降り場を失ひてより、儘 まゝ よと覺悟を極め、倫敦へ直行したるが、人込みの中にて大野に紛れ、四邊 あたり の雑沓にキョトゝして居る内、見知らぬ婦人より赤兒 あかご を預けられ、後に夫 それ が棄兒 すてご と知れ、大野の骨折にて漸 ようや く巡査に引渡す、大野が倫敦にての馴染みなるエムパイヤ座の女優ミス、ローズ。ミス、ヴァイオレット、ミス、リリー連れ立ちて出來リ、大野を見付けて色々と話しかけ双田が滑稽なる態度を笑ふ、されど彼の金滿家なるを聞くに及んで、忽ちに愛相 あいそ よくなりて、彼を取巻き、大野が繁勇のために指環を求めに行きたる間 ま に、双田の言語の通ぜざるに附込み、高價なるシャンペン酒を抜かせ、散財させ相場にて儲けたる時の記念にして、双田が命より二番目の指環を取上げる、大野立歸りて、此場の有樣に呆れ返り、澁々 しぶゝ に双田が爲に、勘定を立替をなし居る内、双田はポケットより煙草入れを取出し、刀豆 なたまめ の煙管 きせる にて煙草を吸付け其火を掌 てのひら に轉 ころが せば、今迄之を見物し居たる人々は總立ちなり、女優も思はず双田の手首を摑む、大野は驚き振返り双田は呆然として一同を見る模樣にて幕。
三幕目 コスモポリタンホテル内
同 双田寝室の場
浴場入口の場
一 ホテルの下男ジヤツク 麗重
一 ホテルの女中メリー 日出子
一 大野富三郎 宗之助
一 双田宇介 松助
一 ホテルの番頭 錦五郎
國之助改
一 露西亞人 四郎五郎
一 ホテルのボーイ 麗三郎
一 ホテルの召使 重子
一 ホテルの小僧 小春
一 佛國人 小治郎
一 同 婦人 浪子
一 ホテルの召使 蝶子
一 年若き婦人 龍子
一 老婦人 勝代
一 宿泊人 宗右衞門
一 同 錦吾
一 同 三幸
『三幕目、コスモポリタンホテル内、双田寝室の場』輕き靜 しづか なる音樂にて幕開けば、茲は倫敦中流ホテルの一室、室内にはホテルの女中メリー、下男ジヤックと巫山戲 ふざ け居る、メリーは蒼蠅 うるさ く附纏 つきまと ふジャックを打たんとして、運惡く入り來る双田の顔を嫌と云ふ程、撲り付け、面目無げに兩人は逃げて入る、後より續きし大野は、双田の室内にて素足なるに驚き、せめて上靴 スリッパー なりと穿 は く可きを勸め、今迄の失策 しくじり の爲に如何に迷惑したりしかを語り、何にも云はずに寝かせんとするに、双田は未 ま だ食事を濟さず、且つピカデイリー街 まち にて女優等に、エムパイヤー座見物を約束し置きたることを告げ、其前に是非一 ひ と風呂浴びんと強請 せが む、大野も已むを得ず、女中を呼び風呂の仕度を命じ、兎角日本人には風呂場の失策 しくじり 多き事とて、双田にも懇々と注意を與へ、尚ほ念の爲めにもと、自ら附添ひ風呂場へと行かんとするに、双田は日本の浴衣、兵児帯を取出 とりいだ し、其場にて着替へんとするをもて、大野は狼狽 あわて てそれを引つ奪 たく り、双田を睨む、双田の呆れて立つを見て、下女は思はず吹出す、此模樣無言にて幕。
『同、浴場入口の場』舞臺は凡てホテル二階廊下浴室外の模樣にて幕開 あ くと、色々なる宿泊人の出入ありたる後、下女メリーの案内にて、大野に附添はれて双田出來り、浴室の扉 と の一旦締りたる上は、外よりは開かざる事を、大野より注意されて内に入 い り、衣類は其儘廊下に脱ぎ置きたる爲めに、他の下女に持去られ、日本手拭を持ち來らんと、外へ出たる拍子に、戸は内より固く締りて、最早開かず、若き婦人下より昇り來りて、双田が異樣の扮装 いでたち を見て、金切聲を上 あ ぐれば、之を聞き附けて、ドヤゝと人の駆付け來る足音に、双田は愈々狼狽し、度を失ひて他の部屋へ飛込めば、客は烈火の如く怒りて、双田を抓み出し、ホテルの人々總出となりて双田を捕へんとすれば、双田も今は絶対絶命、夢中になって駈廻り、遂に自分の部屋の鴨居へと飛上ると同時に、大野狼狽 あはて て、扉を開けば、双田の兩足に胸を蹴られ、尻餅を搗 つ きて呆れて見上げる、此模樣宜しく大騒動の體 てい にて幕。
四幕目
エムパイヤ座演藝の場
一 大野富三郎 宗之助
一 双田宇介 松助
一 見物の老紳士 錦車
一 同 老夫人 澤右衞門
一 場内案内の女 錦彌
一 佛國下層社會の男 ローシー
一 同 その情婦 ミセス、ローシー
一 下層社会の男 淸水
一 同 その情婦 信子
一 日本將校 律子
一 同 旗手 かね子
一 英國將校 菊枝
一 同 旗手 蝶子
一 米國將校 はま子
一 同 旗手 日出子
一 露國將校 勝代
一 同 旗手 蔦代
一 佛國將校 嘉久子
一 同 旗手 壽美代
一 白國將校 房子
一 同 旗手 龍子
一 平和の女神 宗彌
一 バーの女 磯代
一 同 モリノ
一 同 百合子
一 同 桂
一 同 せい子
一 米國黑奴 石井
一 同 柏木
一 同 南部
一 同 小島
一 同 松山
一 同 高田
一 同 岸田
一 同 菅
一 日本兵士 せい子
一 同 愛子
一 同 小春
一 同 京子
一 英國兵士 桂
一 同 磯代
一 同 八千代
一 同 八重子
一 米國兵士 ふく子
一 同 薫
一 同 たかね
一 同 喜久代
一 露國兵士 玉枝
一 同 歌子
一 同 年枝
一 同 百合子
一 佛國兵士 みね子
一 同 靜枝
一 同 重子
一 同 早苗
一 白國兵士 すみ子
一 同 照子
一 同 しづ子
一 同 モリノ
帝國劇場管絃樂部員
帝國劇場洋樂部員
第一 ヴアイオリン 荻田十八三
同 吉田盛孝
同 山崎榮荻次郎
第二 ヴアイオリン 佐藏忠恕
同 渡邊吉之助
同 小松三樹三
ヴイオラ 蛯子正純
同 紣川藤喜知
セロ 内藤常吉
同 村上彦三
バス 荒木茂二郎
同 内藤彦太郎
フリユート 横山國太郎
オーボエ 八尾五郎
クラリネツト 横須賀薫三
同 大野忠三
ホルン 吉田民雄
同 篠原慶じ
トロンペット 吉田竹二
同 加福一雄
トロンボン 加瀬順
ドラム 渡邊金治
『四幕目、エムパイヤ座演藝の場』舞臺正面にエムパイヤ座の舞臺を見せ、上手下手共に二階造 づくり の金碧燦爛たる桟敷を設け、凡てエムパイヤ座幕開き前の光景、微醉 ほろよい 機嫌の双田宇助、大野に案内されて桟敷に現はれ、場内の美事なるに打驚き、大聲を出して話し掛くれば、大野は穴へも入りたき心地にて、双田を靜むる内、幕開 まくあ きとなり、演藝の第一は『ダンス、ザパッシュ』と稱すると佛國下流社會居酒屋の内部を描ける無言的舞踏となり、居酒屋の内にはバーの女を相手にに數人の男飲酒し、女と共に舞踏する事宜しく、次 つい で男女二人打連れ入來り、座す可き空席なきを見、 一隅に居る一人の男の肩を叩き立去れと命ずれば、件 くだん の男は怒って立上り、既に喧嘩とならんとする時、人々出來り、男を宥 なだ めて別室へ導く、更にミセス、ローシーの扮せる一婦人、其夫を探しに出來り、茲に在らぬに失望すれば女連れの男は、之を見掛け、其仲間に引入れんとす、されど其婦人は之を斷りて上手へ行く、間も無く婦人の夫にて、ローシーの扮する一無頼漢、獰猛なる顔色 がんしょく にて入來り、婦人の茲に來り居るは、彼 か の男と密會する爲なる可しと嫉妬し、先づ其男を撲 なぐ り付け、次いで女房を捕へて散々にこずき廻し活劇的舞踏乃ちダンス、ザパッシュを演ず、演藝の第二は『ニグロース、クーン、ソング、エンド、ダンス』にして南米の廣漠たる小麥畑を背景として、黑奴男女の可笑 をか しき歌唱と舞踏とを見せ、更に第三に至りては『武装的平和 アームド、ピース 』とを題し、女優の扮する日、英、米、白耳義 ベルギー 、佛、露の陸軍々人、軍装美々しく、聯隊旗を翻 ひるがへ し、オーケストラの奏する各國々歌に從ひ入來り、勇壮なる分裂式を行ひ、平和の女神天の一方に現はれて、此場に神嚴を加ふ、此間双田は大野より雙眼鏡を借り、女優の中 うち にローズ其他の交り居るを見乗出して見物する内、過って雙眼鏡を取落し、夫 それ を取らんとして桟敷より吊下 ぶらさが れば、一同驚きて双田を見る此模樣宜しく幕
なお、上の写真の一番右は、絵葉書のもので、下の説明がある。
(帝國劇塲喜劇唖旅行) 神戸港碇泊香取丸甲板の塲