明治参拾年 〔一八九七年〕 十月改定
東京至誠学院規則
東京市麹町区飯田町三丁目五番地 至誠学院 〔18.8センチ、24頁〕
目次
通学部規則
寄宿舎規則
通信部規則
●至誠学院設立之趣旨
国運ノ盛衰隆替ハ学問ノ独立如何ニアリ今ヤ我学術界モ輸入時期ヲ過ギ同化時期ニ入リシト雖モ未ダ世界ノ開明国ト対等ノ位置ニ進ミタリト言ヲ可ラズ我国ニ於テ最モ進歩セシト誇唱セラル、医学、法律学ノ現況ヲ見ヨ果ノ純然タル系統的ノ日本医学アリヤ将タ法律学アリヤ況ンヤ其他ニ於テヲヤ現世紀学術日進列国競争ノ間ニ立チ優ニ太平洋上ニ覇権ヲ振ヒ国勢ノ膨張ヲ維持シ祖宗ノ遺謨ヲ辱シメザラント欲セバ文タルト武タルト商タルト工タルトヲ問ハズ学術淵叢ノ称アル外国ノ語学ヲ講習シ其学術ヲ同化シテ学問ノ独立ニ資セザル可ラズ世人外国語ノ必要ヲ感ズル比々皆然リ然レドモ其学習ノ困難ト数多ノ歳月ヲ要スルトヲ恐レ其門ニ入ラゼルモノ尠シトセズ余欧州学術ノ中枢ナル独逸学ノ教授ニ従事スルコト茲ニ年アリ外国語教授法ニ於テ発明スル所亦不尠学者此法ニ依ルコトハ敢テ困難ヲ感ズルコトナク僅カノ日子ヲ以テ愉々快々ノ内ニ学修シ実地応用ヲ自在ナラシムルハ余ノ堅ク信ズル処ナリ以是本院ヲ設ケ浮華虚飾ヲ主トスル当世弊風ノ外ニ立チ教育勅語ヲ遵奉シ徳性ノ涵養ヲ務メ余ガ一新機軸ノ教授法ニ依リ教導修得セシメ斯学ノ普及ヲ図リ学問ノ独立国家隆盛ノ万一ニ裨補スル所アラントスル是レ本院設立ノ微志ナリ
独逸学専門 至誠学院長 吉岡荒太識
沿革 明治二十六年 〔一八九三年〕 五月初メテ本院ヲ東京市本郷区金助町ニ創立シ至誠学舎ト称シ普通及医学ニ関スル独逸学ヲ教授セリ次デ二十七年五月ニ至リ普通科医学科及高等科ノ三部ニ分チ一層精励教授ニ従事セシニ入学者日ニ日ニ多キヲ加ヘ校舎狭隘ヲ告ルニ依リ同年十二月ヲ以テ同区元町ニ移転シ名ヲ至誠学院ト改メ更ニ通信部ヲ増設セリ爾来教務大ニ繁劇ヲ来セリ為ニ同廿九年四月当区ニ転ジ益々院務ノ拡張ヲ図ル
院内部規則
●学院規則
第一條
目的 本院ハ速成ヲ主トシ正則的ニ普通ノ独逸語竝ニ医学、博物学及文学等ニ関スル独逸学ヲ丁寧懇切ニ教授スル所トス
第二條
分科 本院ノ学科ヲ分ツテ普通科、高等科及医学科ノ三部トス●普通正科ハ高等学校同医学部尋常中学校士官学校幼年学校及地方医学校志願者ノ為ニ設ケ訳解、翻訳、会話、作文等ヲ自在ニ為シ得ル様正則ニ教授シ卒業ノ期ヲ二ヶ年トス●医学科ハ予科及本科ノ二部トス○予科ハ医学生又医師ニシテ速成ニ医書ヲ繙読セント欲スル者ノ為ニ設ク○本科ハ一定或ハ随意ノ医書ヲ講授シ別ニ年限ヲ定メズ但シ薬学書ヲモ教授ス●高等科ハ博物学及文学篤志者ノ為ニ設クル者ニシテ博物科及文科ノ二部トシ理、化、動、植、金石等ニ関スル書類又ハ文学ニ関スル高尚ノ詩、歌、歴史、小説、心理、論理、哲学等ノ書類ヲ講授スヘシ
但シ法学、兵学、教育学等モ高等科ニ属ス
●特別科ハ特ニ篤志者ノ為ニ設ク
第三條
第四條
学年 一学年ヲ分チ三学期トシ各学期ハ四ヶ月ヲ以テ終ル
二月 六月 十月ヲ各学期ノ始トス
但シ学級編制ハ別ニ之ヲ掲示ス可シ
第五條
授業時間 ハ院内ニ掲示ス
第六條
休日 日曜日、大祭日、創立記念日五月十四日、年始歳末各五日間、毎月末日
第七條
入学資格 普通科ハ高等小学二年級卒業以上ノ者○医学予科ハ左表第二期以上ノ学力ヲ有スル者○高等科ハ「ヱンゲリン」第三読本訳解以上ノ学力ヲ有スル者○医学本科ハ前期免状或ハ開業免状ヲ有スル者ニシテ相当ノ独逸学力ヲ有スル者○兵学法学教育学ハ正科第二期以上ノ学力ヲ有スル者
第八條
第九條
第十條
第十一條
第十二條
第十三條
特権 本院ノ卒業證ヲ有スル者ニ限リ院友トシテ永ク当院ニ出入シ質問スルコトヲ得
第十四條
学費
●普通科
●医学科
●注意
●附言
●塾則
●院外部設立之趣旨
●院外部規則
東京国文社印行
なお、次の紙片二枚が挟まれていた。
・「至誠学院教学専修部設置趣旨 規則 ●尋常科(四ケ月卒業) ●高等科(四ケ月卒業) 授業時間 ●尋常科 ●高等科」
・「●別課設置ノ趣旨、●漢学課規則、●兼習学費、●時間表」
明治参拾一年 〔一八九八年〕 七月改定
東京至誠学院規則
東京市麹町区飯田町三丁目五番地 独逸専門学校 至誠学院 〔18.6センチ、16頁・通信部規則7頁〕
目次
通学部規則
寄宿舎規則
通信部規則
●至誠学院設立之趣旨
通学部規則
●学院規則
●普通科
●医学科
●附則
●附言
●塾則
東京国文社印行
なお、次の紙片が挟まれていた。
・「●別課設置ノ趣旨、●漢学課規則、●兼習学費」
下は、至誠学院の『独逸学講義録』第貳輯。。