日本女子大学校設立の趣旨大要
女子は国民の一半を組成する者にして社会国家に及す影響の深且大なる洵に世人の想像以外に在り女子教育の振否は邦家汚隆の由で岐るヽ所なりと謂ふべきなり然るに其普及発達の現状たる国家の運命を托するに足らざるものあり而かも尚之れが進歩改善を謀る者寂として聞ゆるなきは豈に明治聖世の一大恨事に非ずや是れ吾人が敢て天下の同志に訴へ茲に大阪に地を卜し日本女子大学校なるものを創設し女子教育の発達改善及普及を催進し以て国運振張の一助に供せむと欲する所以なり
本校の執らむとせる所の女子教育上の方針は第一に女子を人として教育し第二に婦人として教育し第三に国民として教育するに在り女子教育の方法を視るに或は女子を器械視し若しくば芸人視し隨て目前実用の知識芸能のみを授け殆ど人たるの教育に注意せざるが如きものあり抑も人たるの教育とは心身の能力を開展せしめべからざる資質を修養せしむるに在り女子は其心身の構造社会の体制上より女子の尽すべき自然の天職なるものあり良妻賢母たるべきこと是れなり吾人は殊に此点に向て力を傾注せむと欲す女子も亦国家の臣民たり宜しく国民たるの観念を與へ一個国民としての能力を備へしめざるべからず本校の教育法其基礎を此三点に置かむとするもの偶然に非ざるなり
本校の組織程度は大略左の如くせむと欲す
本校称して大学校と云ふも其実本表に示せるが如く初等教育あり中等教育あり高等教育あり或は普通科あり専門科あり高低難易相合して一校を成すものにして唯高等教育のみを目的とするに非ず吾人の主眼とする所は下幼稚園より上大学部に至る迄首尾の系統整頓せる教育組織を一校内に設け吾人の執る所の特殊の教育主義及方法を実施し旁ら本邦女子教育改善の方法を研究実験し以て本邦女子教育界の中心たらむことを期するに在り然れども社会需要の緩急に依り先つ高等女学校に着手し順次校務の進捗に応じ上下に拡張せむと欲す大学部の程度の如きは高等女学校卒業後三年以内にて卒業するを得るに止め本邦現時の社会及女子に適合するを以て標準となし過度の高等教育に馳するが如き弊を避け徐々其実効を挙げむことを期す彼の欧米諸国に行はるヽ女子教育法を直に採りて我邦に施さむとするが如きは吾人の執らざる所にして吾人は本邦の女子に適応する所の教育を授けむと欲す雖然吾人は又泥古守旧を以て主義とする者に非ず過去に顧み現在に照らすのみならず亦大に将来に慮り以て中正適実なる進歩的女子教育を施行せむと欲す加之吾人は体育を重むじ過度の知育健康を阻害するの弊を避け個人の特性に適切なる教育を施し徳育は我邦固有の道徳に依るべきも文明諸国に於ける進歩の成蹟は之を選択取捨して補ふ所あらむとす殊に寄宿舎は家族制に依り有徳の婦人を舎監に聘し或は教員の家族を校内に住居せしめ以て生徒の管理訓育をして良家庭に在るの感あらしめん教職員選定に於ては殊に重きを人物に置き可成女子を採用せむと欲す
吾人の目的を完成せむとするには莫大の資金を要すべきも本校基礎の鞏固を得むが為に先づ資本金参拾万円以上を募集し大凡拾万円を創立費に供し残額を基本財産となし其利息を以て本校の維持に備へ漸次資金の増加と事業の拡張とを謀らむと欲す然れども本校の設立に着手するは寄附金額十万円に達したるの暁に於てすへし而して凡て寄附金は第百十九銀行三井銀行第一銀行鴻池銀行住友銀行及加島銀行に預け確実に保管せしめ新民法実施と共に法人設立の手続を了し法律保護の下に安固を得むことを期す本校財産の管理等は評議員なるものを設けて之を処理せむと欲す評議員の資格権限出金者の待遇等は追て定むべし
以上は日本女子大学校を設立せむとする趣旨の大要たり文略して意を尽さすと雖も幸に吾人の微意の存する所を諒せられ天下同志の翼賛を得本校設立の業を遂ぐることを得ば吾人発起人等の面白たるのみならす又多少国家に裨益する所あるべきなり
附言
一 寄附金は東京にては会計監督渋沢栄一氏大阪にては同住友吉左衛門氏の名宛にて創立事務所に送附を乞ふ
一 寄附金は受取次第会計監督の名を以て受領證を呈す
但し郵便振替にて御送附の方は東京は飯田町郵便支局大阪は中の島郵便本局渡り御取組を乞ふ
一 創立事務に関する通信等は凡て左の両所に御送附を乞ふ
大阪西区北江戸堀一丁目三十番邸日本女子大学校創立事務所
東京神田区一ツ橋通帝国教育会内日本女子大学校創立事務所
●日本女子大学校開校式式場内景
同校開校式の記事は、詳細本誌第九十号に在り。此に掲けたるは、式の当日、本誌のために本郷茗渓なる玉翠館員が撮影したるもの。この我邦最初の女子大学校の記念として唯一の写真なり。中央に立ちて演説中なるは、渋沢会計監督にして、卓子 テーブル の傍に椅子に椅 よ らるゝは教頭麻生氏なり。写真に対ひて右の奥に立ちて、写真器械の方を眺め居らるゝは、校長成瀬仁蔵氏にして、其の前に椅子にかゝり居らるゝは、創立委員長大隈伯なり。撮影者に近き処に居らるゝは附属高等女学校生徒、演壇に近きは大学部生徒、左方の奥なるは来賓なり。当日は雨天なりしため到底撮影し難かるべしとて、其の設 もうけ もなさゞりしが、幸ひ雨晴れたれば漸にして撮影するを得たり。然れども既に式を開かれし後にて、加ふるに後方の天幕低く、為に充分の好位置を占むる能はざりしも、予想外の好写真を得たるは、撮影者の巧技に依ると云はざる可らず。尚吾人は同校に向って、この最も喜ぶべき記念の写真を撮影するの栄誉を本誌に與へられたる好意を謝す。
上の写真は、『女子之友臨時発刊第九十二号 第四才媛詞藻』 東京 東洋社 明治三十四年六月三日発行 の口絵写真にあるもの。その説明は、同号の 雑報 口絵写真版説明 のものである。なお、同号の口絵写真には、下の写真も掲載されている。
・日本女子大学校長 成瀬仁蔵君
・日本女子大学校学監 麻生正蔵君