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「指鬘外道」作曲所感  山田耕作(談) (1920.6)

2021年04月09日 | 作曲家 山田耕筰、松島彝子

  「指鬘外道」作曲所感
                  山田耕作
  
 此の春白蓮夫人の『指鬘外道』が東京で上演されると云ふ事を、露風氏を通じて聞きました、その劇中の『夢の歌』は私に作曲せよとの露風氏の言葉もありましたので、私は臺本の出るのを待ちかねて熟読したすゑその歌は三月末頃書きあげました。私は劇中に用ひらる々歌について平素から、ある主張を持って居りました。それは在來の用法のやうに唯その所演の景物的に附せれるゝやうなものならば、むしろ歌は、ない方が好い、それに全々歌を要さないやうな戯曲に、ある一つのしゃれけから音樂を加へる事の惡い事もーれはイブセンの言行を待たずとも誰にも明かにわかる筈です。
 御承知の通り、イブセンは劇の中から音樂を驅逐しました。音樂者としての立場から見れば、その驅逐された事が、一應腹だたしく思はれるやうですけど、私はむしろそれをもっともな事とさへ信じて居ます。所謂イブセンの現す劇の内容と樣式には、何處にも音樂の住める家はないやうです。もっともペルギントのやうなものは例外ですけれど。
 それでは劇に用ひられる音樂、普通謂ふ所のインシデンタルミュージックとは、どうあるべきものでせうか。私はこれを、二つに考へられます、それは舊式のインシデンタルミュージックと新式のそれとです。
 舊式のインシデンタルミュージックーそれはどんなものか、一應説明の必要がありませう。舊式のインシデンタルミュージックとは、例へばファウストの中に用ひられる如きもの、或はシェークスピーア物のある物にも、その他ロシヤの作家の類なるものに現れて來るものはそれです。例へば、劇中に起る所の祭禮的或は儀式的音樂、言葉を換へて言へば劇の内容に含んで居る、寫眞的塲面にともなふ音樂。それに、劇の内容にはそれ程の密接な關係をもってゐないある歌謠の如き、例へばトルストイの『生ける屍』の塲合におけるやうに、又イブセンの『ペルギント』に見えるやうにこれ等の例によって見ても舊式ホインシデンタルミュージックは、劇的に見ても音樂的に見ても相互に、その美を増しあふといふよりは、相互にその美を濁らしあって居るやうに思はれます。ことに『ペルギント』にその一例をとって見ませう、例へば、オーゼの死に於ける塲合の如き、その音樂は在來の音樂的形式の上に築かれたものであって決して戯曲的の地盤に建てられた樂曲では無いやうです。これは戯曲を上演する際に、その戯曲のその部分が戯曲から離れて演劇の姿が音樂界の姿に變裝してしまふやうな恨みがあります。從って劇はその塲合、音樂に對して、遠慮するでせう又音樂は幕合の觀衆の倦怠をつなぐ、お茶うけのやうな役目をさせられるやうな事になるでせう。さうなって來ると舊式のインシデンタルミュージックの全く無用なものである事は可成誰にも明瞭にわかる事だと思ひます。
 私はそれで、劇に用ひられる所の音樂と云ふものは例へば幕合に演奏される所のものであっても、俳優の働作、せりふの緩急、聲の高低その他の劇を流れてゐる所のその流れと一處に流れ得るだけの音樂でなければならないと思ひます。私はこの所信を舊冬友達會上演の『タンタジールの死』の塲合に初めて實現して見ました。その結果、私は私の考への相當に善い結果をもたらした事を悦んで居ます。
 その新しい形式とは、もう一つ細かく説明すれば、こう云ふ事になりませう。例へば幕の開く前に音樂が始まるとする、その音樂は少くとも觀衆を普通の生活から、イマジネーティヴな世界に割合に早く導きます從って自分が自分の居處さへ覺えない所まで入り得るものだと思ひます。さうして光線の力と音樂の力とがほとんど、兩足の靜かに歩みを運ぶやうに進んで、幕が上るとすれば、觀衆は全く勞さないで、その劇の世界に靜かな眼をむける事が出來るに相違ありません。こう言えばその樂曲の終結は、まづ樂曲的には無いと云ふ事が出來ませう。つまり樂曲の終了は劇の始めであると云ふ事になります。此の終りと始めの一線が明瞭に意識せられないほど觀衆は悦びを感じるに違ひありません。そして戯曲は舞臺の上に展開されて幕の閉ぢられる時が來ると、又音樂がその戯曲の流した流れの速度、重さ或は波の高さ低さ流れの色その他と、お互が立體の流動である一點に、溶けあって觀衆を、その各のイマジネーションの國に誘ひます。こうして音樂は觀衆のイマジネーションを或意味に於いて誘導しながら次幕へと流れて行きます。こうすれば期せずして幕合に感ずる妙な喧騒やディスイルージョンは、恐らく起こるまいと思はれます。私はこう云ふ風に思って居りますので、露風氏を通じて依囑せられた『夢の歌』を書いた時も何とかしてこれを在來の劇中の歌のやうな、景物としては演じてもらひたくないと云ふやうな感じを持って居りました。
 處が丁度、十九日の事でせう、此の劇を演出せらる村田實氏その他が見えられまして、此の戯曲を一貫した音樂の流れで縫ってみたいと云ふ希望を語られました。それで出來るならばと云ふよりは、無理にも私にそれを書けと申されました。唯困った事は上演の時のあまりに近いので、はたして自信のあるものを生み得るか否かに迷ひましたが、村田氏はじめその來訪の方々の眞面目な慾求と熱心な努力に、おかされまして徹宵しても、書き上げて、一つでも好い演出を得たいと敢へてお引受けする事に致しました。一つには、それによって私の作った夢の歌も景物の災厄からは、逃れ得る歓びもありましたので。
 そして演劇が立體の流動でありますから、ピアノ一色では扱ひにくゝ樣々な色を盛ったオーゲストラが適して居りますので、それを選びました。
 この新しきインシデンタルミュージックは、むしろ日本に生れて日本に一番好く育つものだらうと私は思ふのです。それは日本の在来の演劇の姿を顧みて見ればその理由も解るだらうと思ひます。(談)



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