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「漢口附近に於ける伝染病及固有地方病調査報告」 小菅勇 (1913.1)

2020年09月09日 | 医学 2 病院、病気

    

 漢口附近ニ於ケル傳染病固有地方病調査報告
      陸軍一等軍醫 小菅勇

   一、緒言

 漢口附近ニ於ケル傳染病及固有地方病ニ就テ研究スヘキ命ヲ受ケ今夏以來之ニ從事セシカ偶々小官所屬隊ナル中淸派遣隊内ニ於テ今夏以降患者多發シタル爲メ殆ト之カ研究ヲ中止スルノ止ムヲ得サルニ至レリ、而モ其ノ間却テ諸種ノ疾患ニ就キ實驗スルノ機會ヲ得タリ、茲ニ記述セントスルハ主トシテ漢口附近ニ於ケル居留地住民ヲ侵襲スヘキ虞アルモノニ限レリト雖モ楊子江沿岸中主要都市ニシテ小官ノ視察シ得タル南京、九江、沙市、長沙及岳州等ニ於ケル居留民ノ疾病ニ就テモ所見ヲ附加シタリ

   二、漢口附近ニ於ケル気候及風土ト疾病トノ關係

 楊子江流域ハ一般ニ地味低濕ニシテ湖沼多ク且所謂長江ノ濁流ニ沿フヲ以テ此等地勢カ直接及間接ニ気候ニ及ホス影響ハ甚大ニシテ殊ニ夏期ニ於テ著シク毎年七、八月ノ交約二週間ニ亙ル熱帶気候ヲ生シ其ノ際気溫較差減少シ無風状態ヲ持續シ夜間殊ニ苦熱ヲ感ス、爲メニコノ間及其ノ前後ニ於テ發汗作用旺盛トナリ口渇ヲ訴フルコト甚シク食思減退シ體力ヲ消耗スルコト大ナルヲ以テ疾病誘發ノ動機ヲ作ルコト多ク殊ニ諸種傳染病散發スルノ時機ナルヲ以テ罹病者從テ多シ
 漢口ハ北緯三十度三十五分四十秒、東經百四十四度二十一分八秒ニ位ス、気溫七、八兩月ノ平均ハ臺灣ヨリモ寧ロ高溫ヲ示セリ、即チ七月ハ二十八度、八月ハ二十八度三分ニシテ臺灣ノ中ニテ最モ熱度高キ恒春七、八兩月ノ平均気溫ハ概ネ二十七度内外ニアリ、然レトモ右熱帶気候ヲ除ケハ概ネ亜熱帶気候ヲ示シ又気壓、気溫、降水量、濕度及天気日數ニ就テ考フルニ冬期ニ於テハ稍々沿岸的気候ノ性質ヲ帶ヘリ
 罹病者ノ關係略々右気候ノ變化ニ一致シ八、九月ニ於テ最多ヲ示セリ、今茲ニ漢口在留者中約六百人ノ壯年者ニ就キ明治四十五年一月一日ヨリ大正元年十月盡日ニ至ル間ニ於ケル各月ノ罹病者ヲ比較スルニ左記ノ表ノ如シ
    自明治四十五年一月 至大正元年十月 月別患者表
 本表中特ニ漢口ニ於テ多數發セシ疾病ハ約十種アリ、即チ腸窒扶私、赤痢、麻刺利亜、脚気、ワイル氏病、急性気管支炎、格魯布性肺炎、急性腎臓炎等トス、右患者中脚気、赤痢、腸窒扶私、麻刺利亜ニ就キ消長ヲ表示スレハ左ノ如シ
    自明治四十五年一月 至大正元年十月 主要疾病患者表

  三、漢口附近ニ於ケル傳染病及固有地方病ノ種類

 由來揚子江流域ハ各種疾病ノ巢窟トモ稱スヘキ地ニシテ且下層支那人ノ生活狀態ハ此等病毒ノ傳播及病原ノ繁殖ニ好適ナルヲ以テ其ノ疾病ノ種類枚擧ニ遑アラスト雖モ茲ニハ主要ナル疾病ニシテ且居留日本人ヲ襲ヒ尚ホ又感染ノ虞アルモノノミヲ略述セントス 
   (1)腸窒扶私
   (2)「パラチフス」
   (3)發疹窒扶私
   (4)虎列刺及疑似虎列刺
 本病ハ夏期ニ於テ殆ト毎年長江沿岸都市村落ヲ襲フノ狀況ナリ、今夏上海、南京、九江、漢口及長沙等ニ於テ居留日本人ノ罹病セシモノアリ、楊子江ヲ上下スル船舶ノ交通頻繁ナルヲ以テ容易ニ之カ傳播ノ機會ヲ作リ且河水ヲ飲用及雜用ニ供シ生活狀態非衞生的ナルヲ以テ支那人間罹病蔓延ハ甚タ急速ニシテ吾人ハ此等支那人ニ近接シ大部分ノ物資蔬菜等ヲ購買セサルヘカラサル不利アルヲ以テ特ニ夏期衞生法ヲ嚴守スルノ必要アリ、本年漢口日本租界ニ於テ小官カ治驗シ若クハ細菌檢査ヲ施行セシモノ眞正虎列刺三名及疑似虎列刺二名アリ
   (5)猩紅熱
   (6)麻疹
   (7)痘瘡
   (8)「アメーバ」赤痢
 當地方特有ノ風土病竝傳染病ノ一ニシテ漢口附近ニ於テ實見セシ「アメーバ」赤痢ハ「アメーバヒストリチカ」ニ由リ惹起セラルルヲ見ル、「アメーバテトラゲナ」ハ之ヲ見ルヲ得サリキ、所謂長江赤痢ノ名稱ノ下ニ楊子江沿岸ニ於テ到ル處存在シ漢口、南京、九江、沙市及長沙等ニ於テ本邦人ニシテ罹病スルモノ亦尠ナカラス、毎年四月ヨリ十月ニ至ル間ニ罹病ス、其ノ中七、八兩月ヲ最多ノ時期トス、男女及年齡ノ區別ハ之ヲ認ムルヲ得ス慢性症ヲ患フルモノニアリテハ數年間連續シ反覆本病ヲ發ス、又殊ニ衞生思想ヲ缼キ傳染ノ機會最多ナル下層支那人間ニ本病ヲ認ムルコト多キハ必然ニシテ從テ居留地ニ於ケル衞生ハ特ニ注意ヲ要ス、即チ是等傳染ヲ防遏スヘキ諸手段ヲ講ジ更ニ居留民間ノ個人衞生的感念ヲ助成スルコト必要ナリト信ス 
 〔以下省略〕  
   (9)細菌赤痢 
   (10)「ペスト」 
 漢口附近ニ於テ時々流行性ニ來ルコトアリ、明治四十二年秋漢口ニ散在性ニ數例ヲ發生セリ、何レモ他地方ヨリ輸入セラレシモノニ係ル 
   (11)實扶的里
   (12)「デング」熱
   (13)「マルタ」熱
   (14)「カラアザール」
   (15)麻刺利亜
   (16)再歸熱     
   (17)脚気
 南淸及中淸地方ニ於ケル居留日本人ニシテ本病ニ罹ルモノ少ナカラス、好ンテ壯年者ヲ犯シ十六歳乃至二十五歳ノモノヲ最多トス、換気不良ナル家屋、多人數ノ群居、感冒、濕潤、身體及精神ノ過勞及ヒ露宿等ハ其ノ誘發原因タリ、漢口其ノ他楊子江流域ハ一般ニ地味低濕ニシテ気候ノ變化著シキヲ以テ特ニ體力ヲ増進シ誘發原因ヲ除クコト必要ナリ、又半搗米ヲ常食トセル支那人竝ニ在留日本人ニシテ此等支那食ヲ攝ルモノニ罹病者少ナキハ豫防上特ニ注意スルノ必要アリ
   (18)日本住血吸蟲病 
   (19)肺結核
 支那人間ニ廣ク蔓延ス、其ノ生活狀態及衞生思想ノ缼乏ハ本病ノ傳播ヲ容易ナラシム、漢口地方及附近一帶ハ春季黄砂襲來シ甚シキトキハ濃霧ノ如キ觀ヲ呈シ砂塵ヲ齎スコト往々アリ、其ノ際大気乾燥シ塵埃多キヲ以テ本病ノ誘發原因トナルコトアリ
   (20)喝病
 夏期ニ於テ土民ノ本病ニ罹ルモノ少ナカラス、即チ七八月ノ交、漢口ニ於テ室内気溫華氏百度内外及直射溫度百二十度内外ニ上昇シ殆ト無風トナリ朝夕気溫ノ較差著シク減少スルヲ以テ本病ヲ誘發シ易シ
   (21)腸内寄生蟲 
   (22)風毒(風土病)
 本病ニ就テハ精確ナル報告、文献ノ徴スヘキナク小官中淸駐留中數種ノ實驗ヲナシ居リシカ未タ確定スヘキ原因ヲ認ムル能ハス 
 本病ハ楊子江流域ニ居住スル日本人ニ多發シ春季ヨリ夏期ニ亙リ罹病スルモノ多シ、限局性ニ來ルモノハクインケノ限局性浮腫ニ似テ而モ漸次其ノ位置ヲ轉シ一部ヨリ他部ニ移行スルヲ例トシ多クハ瘙痒ヲ伴ヒ亦時ニ疼痛アリ、通常其ノ部ノ皮膚ハ發赤スルコトナク唯々廣汎性ニ來ルモノハ時ニ發赤ヲ伴フコトアリ、而シテ輕症ナルハ數日ニシテ消失ス、或ハ月餘ニ及フコトアリ、又反覆本症ヲ患フルコト稀ナラス
 原因 數種ノ實驗及事實ヲ綜合スルニ本症ハ恐ラク楊子江ニ産スル淡水魚殊ニ桂魚ヲ食スル(殊ニ生食)ニ依ル特異質症状ニシテ血管神經障害ニ由リ發生スルモノナルヘシ
 症候 初期ニ腸胃炎症状ヲ發スルヲ例トシ食思不進胃部欝滞及輕度ノ下痢ヲ生ス、時ニ輕熱ヲ伴フコトアリ、腫脹ハ通常皮下ニ來リ瘙痒ヲ伴ヒ顔面軀幹及四肢ニ發生ス、又筋層ニ生ス、皮膚容易ニ緊張シ易キ部若クハ筋層ニ來ルトキハ多クハ疼痛ヲ伴フ、其ノ他舌、舌下、口腔粘膜、稀ニ内臓ヲ犯スコトアリ
   〔以下省略〕

   四、結論

 以上記述シタルモノノ他熱帶「アフテン」住血「ビルハルチア」箆形肝蛭肥大吸蟲及肺「ヂストマ」等漢口附近ニ存在シ學者ノ研鑽ニ俟ツコト多シ、要之防疫衞生上ノ施設ノ完備ト箇人衞生思想ノ高上進歩ヲ達成スルヲ得ハ此等諸疾病ヲ防遏シ中淸地方ニ於ケル衞生成蹟ヲ向上セシメ得ヘキヲ信ス

   五、引用書目

 上の文は、大正二年一月三十日発行の 『軍医団雑誌』 第三十九号 に掲載されたものである。
 なお、同年八月二十日発行の 『偕行社記事』 第四百六十五号 にも、ほぼ同じ内容の文が 「漢口附近ニ於ケル傳染病及固有地方病ノ調査摘要」 中淸派遣歩兵隊附陸軍一等軍醫 小菅勇 として掲載されている。 



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