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「女子英学塾の学風」小翠女史 (1907.10)

2019年10月20日 | 女子教育 神戸女学院、日本女子他

 女子英学塾 絵はがき

     

 ・〔津田梅子、A.C.ハーツホン〕
 ・SCHOOL BUILDING  JOSHI EIGAKU JUKU
 ・CLASSROOM     JOSHI EIGAKU JUKU
 ・LIBRARY JOSHI EIGAKU JUKU
 ・GYMNASIUM JOSHI EIGAKU JUKU

  

 女子英学塾の学風 小翠女史

 麹町は五番町、英国大使館の裏手の極静な所に、あまり大きくはないが瀟洒な建物があります。是 これ ぞ知る人ぞ知る津田梅子女史の女子英学塾で、此中に百五十有余人の生徒が、慈愛深き先生方を父とも母とも頼み参らせて、楽しく忙しく勉強して居るので御座います。
 
 △塾長 津田梅子先生▽

 塾長は皆様も御存知の津田梅子女史で、女史は九つの小さな時分から、米国へおいでになって、専ら米国 あちら の教育をお受けなすった方です。さればまるで西洋人のやうに、あちらの事情に通じて居らっしゃる上に、素々 もともと 日本人ですから、日本の事情もよくお飲み込みで、殊に語学に於ける日本人の短所をよく御存知で御座いますから、西洋人に教 おそ はって何処か不安心に感ずるやうな事はなく、ハキゝと解って行きますの、ですからどんな頭の鈍い人でも、女史の御教授ならば、知らずゝ覚えてしまひますし、どんな六ヶ敷 むつかし い事でも笑談の中 うち にサラリと分るやうな事は決して珍しくありません、経験の積んだ結果としませうか、天稟 てんりん の才と申しませうか、とにかく女史の高き人格と共に此教授法は、誠に当世の一異彩だと思ひます。

 △生徒の自由▽

 塾長は又生徒の自由と云ふ事に重きを置いて居らっしゃいます。常に生徒に仰っしゃるには、人は猿ではありませんよ、猿廻しに綱をつけられて、その綱の加減で進んだり退いたりするやうでは、誠に恥かしいじゃありませんか、私は皆さんに綱をつけたくない、どうか自由があげたいのです。しかし自由と云ふ事を間違へて、自分の勝手気儘にする事だと思っては困る、たとへ綱はつけなくとも、善悪に変りはない、何処までも善は善であるし悪は悪である、たから自分でよく考へて、なす可きはなし、なす可 べか らざるはなさぬと云ふ事にして貰ひたいのです。自由とは自分で善悪の判断をつける事で、自由を得て楽になると思ふ人があるかも知れませんが、自由には責任と云ふものが附いて居て、中々苦しいのです。しかしそれが出来ねばやはり猿のお仲間たるを免れません。と、
 ですから他の大方の学校のやうに、出入に通知簿と云ふものも有りませんし、すべてああせよ斯うせよと云ふではなく、如何 どう したら宜かろうかと云ふ題を與 あた へて、生徒自身に判断させるやうになって居ります。

 △学級の分け方▽

 学級は本科(師範科選科)三年、予備科三年になってゐます。殊に師範科は無試験で中等教員になれる特典を、一昨年文部省から賜はったのです。本科は三年とは云へ、お役目のやうに三年居れば必ず卒業が出来ると云ふわけではありません、完全になって是 これ ならば何処に出しても恥かしくないと云ふやうになって、始めて卒業が出来ますのです。されば本塾卒業生は、今迄文部省の検定試験を受けましても、一度も失敗した事がないのです、是等を見ましても、いかに実力があるかゞお分りになりませう。

 △勉強の仕方▽

 お稽古はそれはゝ忙しいのです、予習をするだけでも、余程手廻しを能くして置かなければ、時間までに出来なくて、教場で赤い顔をなければならない、まして毎日々々習った所を復習しやうとすれば、中々骨が折れます。で、勉強の為方 しかた のまづい人は、試験前になって急に大慌て、ついに無理な勉強もするやうになります。斯 か く忙しいのですが、又面白味も多くて、しかも先生方が熱心に教へて下さるので、生徒の方でも気が乗って一生懸命になる、すると先生の方でも張合が出て、尚熱心に教へられる、と云ふ風で教場の中はいつも活気に満ちて、キビゝして居るので御座います。分らない事があれば、何処までも質問しますので先生は喜んで、いつもかう仰っしゃいます。「大抵の女学生は分らなくても、分った振りして質問をしないが、此処では能く質問が出て、私共も満足に思ひます。」
 問ふは一時の恥、知らぬは末代まで恥とやら申しますが、学校で分らない事を聞くのに、何の恥しい事がありませう。分らない事はよくよく質問して、スッカリ分った其時の嬉しさ気持よさ、例へるものも御座いますまい。

 △運動も盛んです▽

 右のやうにお稽古が忙しいもので、つい運動の方は疎 おろそ かになり勝 がち になります。塾長は此事を大層心配なすって、しきりに運動を奨励して居らっしゃいます、今ではテニスコートが二つ、ピンポン一組、其外にクロッケーをも供へてあるのです。近頃又テニス会と云ふものを組織して、毎月一回開会て競技する事になって、先生方も御列席下すって、生徒の運動振を御覧になる、其外に毎週一回遊戯の時間が設けてあって、体操先生の御監督の下に色々の舞踏をするのです。此時は学課の忙しい事も忘れ、心の中の憂さも忘れて、あの美はしいオルガンの音と共に、心は天へでも昇るやうな気がします。

 △年に二回の遠足▽

 年に二回春と秋とに遠足が催されます。遠足の主意は、日頃勉強に追はれて、打解けてお話する機会が少ないので、此日には心の鍵をはづして、楽しく笑ひつお話しつする為めで、くたびれて明日の課業を休むの、激しい運動をして翌日は た てないのと云ふやうな、過激な運動をとるのは、此塾では望む所ではありません。されば先生も今日は教壇上の威厳はスッカリ打捨てゝ、親しく心置きなく生徒に交ってお遊びなさるのです、眺めのよい山や海で、親しい友達が打寄って、持参のお弁当を開く時の嬉しさは、皆さんとて御経験がおありなさる事でせう。

 △文学会と同窓会と△

 毎月一回、文学会が開かれます。先生も生徒も皆講堂に集まって、当選した人が対話だの英詩暗誦だの、又は和文朗読などをするのです。会がすんだ後に先生の御批評があるのですから、見て居る方は面白くて、当選した人達の心配は又一入 ひとしほ です。一学期に一度づゝ大文学会が催されて、此時は服装もスッカリかへて、それはゝ見事です。御馳走もどっさり出ます。名士の御演説は文学会の後に御願ひいたすのです。
 また卒業生の為に毎年一回、同窓会が開かれます。先生は久しく別れて居た子供が帰って来たやうに、さも嬉しさうに歓迎なさいますし、生徒はなつかしい姉様に逢ふやうに、心づくしの余興や御馳走をして、ともに楽しく一日をすごします。

 △卒業送別会▽

 凡そ此日ほど妙な感じのする時はございますまい、自分が昇級した嬉しさと、朝夕慣れた姉様達を送る悲しさと、胸の内でごちやゝになって送別会の準備も夢の中にして居るやうで御座います。
 何しろ姉様達がこのなつかしい家をお出てになって、浪風の荒いと云ふ世の中に始めてお入りなさる首途 かどで でございますから、有ったけの智慧を絞って、送別会を盛 さかん にするのです。生徒のかくし芸は此時皆出されて、人をアッと云はせる位、実に目ざましいもので、日頃真面目な方々がどうしてこんな事を御存知かと、全く驚いてしまひます。

 △英学塾の誇▽

 終りに是非申して置きたい事は、世の大方の人々は、英学塾とし云へば、生意気でお転婆な女学生の張本のやうに考へて居らっしゃる方が多う御座いますが、本真 ほんとう は全く反対です、生徒は皆丁寧です、親切です、そして何所迄も淑 しと やかです。是は英学塾の誇りの一 ひと とすべき者でせう。
 一体此塾は英語を一 いつ の技術として教へるのが目的でなく、よい人物を作ると云ふのが本真の目的ですから、生徒もよく其旨 そのむね を守って、人格の修養に心がけて、立派な淑女にならうと勉 つと めて居るので御座います。
 こんな真面目なこんな立派な学校に生徒たる人々は世の幸運児だと私は思って居ます。

 上の文は、明治四十年十月十五日発行の少女世界定期増刊 第二巻第十四号 『わが学校』東京 博文館 に掲載されたものである。
 なお、下の写真は、裏表紙の共益商社楽器店の広告である。

 



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