♦️未来の藤原家繁栄のために
鎌足は、あちらもこちらも立たせる
日和見な時期
■662年、中大兄皇子は即位し天智天皇と成る。弟・大海人を皇太子(弟)に立てたが、天智天皇の子・大友皇子が成人し、才能も並々ならぬものがあり、天智天皇は大友に期待するようになった
■当時は皇太子(弟)が天皇大権を代行する慣習があったが、天智天皇はこのような事情から大海人に大権代行を委ねなかった。そのため大海人は兄・天智天皇に対する反感を募らせる
■ある日、天智天皇は家臣を召して酒宴を催した。酔った大海人が天智天皇の前で長槍を振り回し、床を刺し貫いた
激怒した天智天皇は大海人を殺害させようとしたが、鎌足は天智天皇を思いとどまらせた
■これまで大海人は、鎌足が天智天皇からあまりにも厚く処遇されることに反感を抱いていたが、この一件があってからは鎌足に対する態度を改め、鎌足と親しくし尊重するようになった
大海人に恩を売った鎌足を、大海人は以後永く敬重した
■鎌足はもともと、大海人が自分を快く思っていないことはもちろん察していた。しかし天智天皇の後は、大海人と天智天皇の子・大友との対立抗争がよめる
鎌足は未だ幼い鎌足の子・不比等の為にも両者の関係を調整しておきたかった
大海人と鎌足の関係は調整された
大海人が天武朝を開き、その皇后が持統朝を開く。その時期には藤原不比等の前途は保証された
■大友皇子とはどのように調整されたか?
大友皇子は夢を見た。「天が開き、朱色は衣を着た老人が、太陽を捧げてやって来て皇子に授けようとすると、不意に老人の腋の下から人が出現してそれを奪い去った」
夢から覚めた大友は驚き
鎌足に詳しく語った
鎌足は嘆息して言った
「恐らく天智天皇崩御の後に非常に悪賢い者が皇位を狙うでありましょう。しかし私はそんな事はないと思います。なぜならば天は人に対して公平にただ善を行う者だけを助けるとのことです
どうか皇子よ、努めて徳を修めて下さい。そうすれば災害や異変は心配することではありません
私に娘がいます。どうか後宮に入れて妃として下さい」
遂に皇子と婚姻関係を結んで皇子を親愛した、、という
鎌足は大友が夢を気にしているのを機に、自分の娘を大友に入れて姻戚関係を結んだのだ
大海人、大友の双方と良好な関係を結んで将来に備えた。将来の情勢がどのように展開しようと、我が子不比等の行く末に不安はない
鎌足は、情勢を冷静的確に分析し、時を捉えて対策を講ずる術に長けていた
♦️なぜ天皇なのか?
当時、東アジアの政治情勢は緊迫していた。我が国もいつ海外の侵攻をうけるか知れない。それに対処するには軍事力を強め整備する必要がある
天智天皇や鎌足ら当時の識者は、中国の律令政治を取り入れ、中央集権体制を整え、国力を一本化すべきだと考えた
その体制の中核に天皇を据えるべきだと考えた。そしてまず天皇をないがしろにしていた蘇我政権を倒したのであるが、既にその後の計画も詳細、綿密に検討されていて、目標達成までのプランを着実に実現していった
♦️二二六事件と蘇我氏打倒の違い
将校が兵を率いて重臣、要人を殺害したが、善後処置を軍首脳に委ねたため、その日和見によって失敗に終わったことに比較すれば、中大兄、鎌足の首尾一貫した行動は
クーデターは政治改革を導きだし、クーデターが政治改革と一体化し、歴史的評価を獲得できた