るるの日記

なんでも書きます

魔族・藤原氏【ならび等しからず・不比等という名前のような人生】

2021-10-01 15:13:30 | 日記
幼年の不比等を育てた【田辺大隅】は、「ふひと」の音は変えずに「ならび等しからず」という文字「不比等」に変えた人物で、天武天皇の敵の氏族だ
また、不比等の父鎌足の従兄は、天武天皇によって死刑に処された
不比等は壬申の乱の敵方に属する男だった、、その男が天武朝に出仕している

事情はさらに複雑で、天武天皇の数人の夫人の中に、不比等の妹二人がいる
天武天皇は不比等にとって
父の従兄を処刑した人
養ってくれた人の敵
妹たちの夫
ということになる
奇妙な履歴



不比等は死後
近江国12郡を与えられ
「淡海公」とされた
淡海とは近江のことである
近江は天智天皇の都
淡海公の名は不比等の近江への郷愁
父であった天智天皇への感情
天武天皇に滅ぼされた近江方への思いの傾斜を示している

天武天皇は父天智天皇の敵
その天武朝に出仕する不比等の胸には、天武天皇への敵意のようなわだかまりがあっただろうが、表には出さなかった


魔族・藤原氏【藤原不比等は鎌足の子ではなく、天智天皇の子】

2021-10-01 14:48:02 | 日記
【不比等は鎌足の子ではなく
天智天皇の子】

天智天皇が妊娠した側室を鎌足に譲り「男なら汝の子に、女なら私の子にしよう」と約束し、生れた男児が不比等だった、と〈平安朝の歴史物語「大鏡」〉の記述にある

不比等の父・鎌足の晩年は
天智天皇と弟大海人皇子との対立が激化していた。鎌足は壬申の乱以前に死ぬ
不比等が天智天皇の子だとすれば、弟を消そうとする天智にとって、不比等もまた彼が溺愛する子で後継者の大友皇子のライバルとなる可能性がある
〈尊卑文脈〉には「鎌足、避く所の事あり。不比等を山科の田辺大隅らの家に養う」とある。鎌足が不比等のために、不比等を避難させた

魔族・藤原氏【藤原不比等は法律行政の技術を苦節8年かけて身につけ、判事に任命された。法律の仕事はいつの時代も一朝一夕ではいかない】小室圭

2021-10-01 14:21:55 | 日記
■689年、31歳の藤原不比等が任命された「判事」は、「ことわるつかさ」と読ませる職名で、犯罪を調べ、罪名を決定し、判決を下す司法官である。検察官と裁判官を兼ねた仕事だ
(判事は局長級)
司法官は罪人を厳しく訊問した
拷問である

司法官は肉体的にはただの男である
被疑者よりも地位も低いかもしれない。だが、彼らの背後には彼らの司る【法】がある。そして法の後ろには【国家】があった
法と国家という力が司法官を、凶悪犯や高位な官僚犯罪者よりも強力な男にしている

■現代でもそうだが、法律行政の技術は一朝一夕で身につくものではないので、【判事任命の以前、20代のある時期】から、不比等は司法官僚として法律に関わっていて、そこで法律行政の技術を身につけたのだろう

不比等が法律に関係したのは
681年天武天皇が「浄御原律令」(天武令)と呼ばれる律令制定を命じた前後とみられる
なぜなら、【大宝律令編纂】を担当した時の不比等の法知識の基礎は、「浄御原律令」編纂に関係した不比等青年時代に作られたと考えられるからだ

判事に任命されるまで苦節8年の勉強を積んだことになる
「浄御原律令」編纂のための参考資料にあてられた唐律五百条、唐令千五百条、、などの膨大な書籍を朝廷内の編纂所内で読み、写している不比等の姿が目に浮かぶ

■国家が衰えたら法は融ける
法が衰えたら国家は融ける
司法官は生身のただの男になる
国家と法は不比等にとって同じものであった。そして不比等はただの男にはなりたくなかった
法の力の源泉である国家の中枢に入り込み、法と国家を支配しようと不比等は人生の方向を決めたのは20代半ばであった

魔族・藤原氏【藤原不比等】父鎌足の恩恵は受けず、自分自身の力量で出世した男

2021-10-01 13:29:17 | 日記
藤原不比等
659年生まれ
藤原鎌足二男・50歳の時の子
16歳上の兄は665年不比等6歳の時早世

689年、政界・官職界に登場する
31歳の春、公式に貴族官僚となる
以外と遅い
鎌足の子としての恩恵を受けていないからだ

不比等21歳の頃は壬申の乱に勝利した天武天皇の時代であった。天武朝時代には特権貴族の地位を半永久化する制度がなかった
だから不比等は自身の力量によって
持統・文武・元明・元正四代の実権を握った男なのである

魔族・藤原氏【藤原鎌足】人間関係あちらを立てればこちらも立てる

2021-10-01 13:09:13 | 日記
♦️未来の藤原家繁栄のために
鎌足は、あちらもこちらも立たせる
日和見な時期
■662年、中大兄皇子は即位し天智天皇と成る。弟・大海人を皇太子(弟)に立てたが、天智天皇の子・大友皇子が成人し、才能も並々ならぬものがあり、天智天皇は大友に期待するようになった

■当時は皇太子(弟)が天皇大権を代行する慣習があったが、天智天皇はこのような事情から大海人に大権代行を委ねなかった。そのため大海人は兄・天智天皇に対する反感を募らせる

■ある日、天智天皇は家臣を召して酒宴を催した。酔った大海人が天智天皇の前で長槍を振り回し、床を刺し貫いた
激怒した天智天皇は大海人を殺害させようとしたが、鎌足は天智天皇を思いとどまらせた

■これまで大海人は、鎌足が天智天皇からあまりにも厚く処遇されることに反感を抱いていたが、この一件があってからは鎌足に対する態度を改め、鎌足と親しくし尊重するようになった
大海人に恩を売った鎌足を、大海人は以後永く敬重した

■鎌足はもともと、大海人が自分を快く思っていないことはもちろん察していた。しかし天智天皇の後は、大海人と天智天皇の子・大友との対立抗争がよめる
鎌足は未だ幼い鎌足の子・不比等の為にも両者の関係を調整しておきたかった
大海人と鎌足の関係は調整された
大海人が天武朝を開き、その皇后が持統朝を開く。その時期には藤原不比等の前途は保証された

■大友皇子とはどのように調整されたか?
大友皇子は夢を見た。「天が開き、朱色は衣を着た老人が、太陽を捧げてやって来て皇子に授けようとすると、不意に老人の腋の下から人が出現してそれを奪い去った」
夢から覚めた大友は驚き
鎌足に詳しく語った

鎌足は嘆息して言った
「恐らく天智天皇崩御の後に非常に悪賢い者が皇位を狙うでありましょう。しかし私はそんな事はないと思います。なぜならば天は人に対して公平にただ善を行う者だけを助けるとのことです
どうか皇子よ、努めて徳を修めて下さい。そうすれば災害や異変は心配することではありません
私に娘がいます。どうか後宮に入れて妃として下さい」
遂に皇子と婚姻関係を結んで皇子を親愛した、、という

鎌足は大友が夢を気にしているのを機に、自分の娘を大友に入れて姻戚関係を結んだのだ
大海人、大友の双方と良好な関係を結んで将来に備えた。将来の情勢がどのように展開しようと、我が子不比等の行く末に不安はない
鎌足は、情勢を冷静的確に分析し、時を捉えて対策を講ずる術に長けていた

♦️なぜ天皇なのか?
当時、東アジアの政治情勢は緊迫していた。我が国もいつ海外の侵攻をうけるか知れない。それに対処するには軍事力を強め整備する必要がある
天智天皇や鎌足ら当時の識者は、中国の律令政治を取り入れ、中央集権体制を整え、国力を一本化すべきだと考えた
その体制の中核に天皇を据えるべきだと考えた。そしてまず天皇をないがしろにしていた蘇我政権を倒したのであるが、既にその後の計画も詳細、綿密に検討されていて、目標達成までのプランを着実に実現していった

♦️二二六事件と蘇我氏打倒の違い
将校が兵を率いて重臣、要人を殺害したが、善後処置を軍首脳に委ねたため、その日和見によって失敗に終わったことに比較すれば、中大兄、鎌足の首尾一貫した行動は
クーデターは政治改革を導きだし、クーデターが政治改革と一体化し、歴史的評価を獲得できた