るるの日記

なんでも書きます

魔族・藤原氏【藤原不比等】藤原氏の蔓が天皇家に絡み始める

2021-10-01 23:29:27 | 日記
藤原不比等によって
藤原の蔓は見事に天皇家に絡みついた

絡みついて、藤原氏の血を天皇家に混ぜた。藤の樹液を天皇家という巨木に注入した

聖武天皇には既に宮子を介して不比等の血は流れているが、光明皇后によって不比等の妻三千代の血も入った
こうして藤原家は、遺伝的には天皇家と一体となる

父鎌足が及ばぬほどの権力を、天武にも似た権力を、不比等は得た。その権力は密室の謀議で準備され獲得されたものなので、史書には不比等の権力獲得の過程をほとんど伝えていない

不比等は天武天皇崩御後、天武の夫人であった五百重娘と密通して、子を生ませた。しかも五百重娘は不比等の妹であった
天武の妻を己のものにした不比等の性行動には、天武への秘められた敵意を感じさせる。人間性を疑うものがあるが、根っからの陰謀家だったのだろう

魔族・藤原氏【異常な昇進】弱味を握ってる?

2021-10-01 22:55:30 | 日記
草壁は、不比等が判事に昇進した(689年)、二ヶ月後に亡くなった。。

草壁が亡くなってからも不比等は昇進を続けた
696年、不比等は従四位という身分にあがり、しかも正四位なみの待遇を受けていた
697年、不比等の長女宮子が、文武天皇(草壁の子)の夫人となる。宮子はやがて聖武天皇を生む
698年、不比等の家系のみが「藤原」姓を名のれるという勅語がでる
708年右大臣になる
717年左大臣、石上麻呂の死によって不比等は、名実ともに臣下最高位の権力者となる

不比等の子たちも栄進し
南家、北家、式家、京家の
【藤原四家】の祖となった

不比等の妻、三千代も
701年、元明天皇から「橘宿禰」の氏姓を与えられた
三千代と不比等の娘は、不比等の長女の子・聖武天皇の皇后となる
初めて皇族以外の出で皇后となった

魔族・藤原氏【藤原不比等の魔】昇進のため大津皇子を処刑

2021-10-01 17:20:02 | 日記
不比等、持統、草壁が、三千代の手引きによって朝廷内の密室で謀議を凝らしたのは、天武天皇が発病した直後の秋である。計画は周到を極めた

正倉院の出蔵帳には、草壁皇子が不比等に下賜された宝剣があったことが記されている。高官が多数いる中でどうして草壁が不比等を選んで宝剣を下賜したのか、、
理由は天武天皇崩御後、一ヶ月に満たずに起きた、草壁のライバル、大津皇子処刑に関する褒賞として宝剣を下賜されたのである

「謀反(みかどかたぶ)けむとして発覚」と日本書記が記す死罪判決の文字は不比等が書いたものだ。大津皇子は法によって殺された。大津皇子の共犯者30数人は持統の勅礼によって処罰されなかった。彼らは不比等が組織し大津皇子周辺に埋めた火種

大津皇子の処刑によって草壁皇子の天皇への道は広く開かれた。不比等の昇進も目を見張るものがある

つづく

魔族・藤原氏【天武体制の小さな割れ目に目をつけた不比等名人】

2021-10-01 16:08:29 | 日記
藤原不比等は白刃をふるって戦う気質ではない。密室こそ権力闘争の名人、不比等の政治舞台である
しかし天武体制下では、三千代の助力で出世の階段を登るにしても
天武健在なかぎり上限は知れていた

そんな中、女官である三千代から天武の家庭事情を聞いたとき、不比等は出番を意識した。磐石な天武体制にも小さな割れ目はあったのである

それは天武と皇后の子、草壁皇子と
天武と、皇后の姉で早世した太田皇女の子、大津皇子との
皇位継承をめぐる対立である

草壁皇子は皇太子ではある
しかし素質に優れた大津皇子の存在は持統・草壁の将来を脅かしていた
天武が天智の子を殺したように
草壁の皇位継承者の地位が、大津皇子側によっていつ奪われるか知れたものではない

不比等名人の出番が訪れた
割れ目にどう楔を打つか、、
不比等と三千代は陰謀を練りに練った

魔族・藤原氏【不比等と三千代の出会い】あげまん

2021-10-01 15:47:03 | 日記
藤原不比等が県犬養三千代に出会ったのは20代半ば。運命の出会い

三千代の年齢は不明
不比等との間に二人の子を儲けた
末っ子の安宿姫(あすかべひめ・光明皇后)を生んだのが701年

三千代は、不比等と出会う前に美努王(みのおう)と婚姻。王は敏達天皇の曾孫で、壬申の乱では天武天皇側に属して功があった。三千代には良縁の夫で、三人の子にも恵まれた
後の左大臣橘諸兄は長男

三千代は天武朝の女官となる
彼女は働きもので、朝早くから夜遅くまで労をいとわず働いた。特に皇后(後の持統天皇)の信頼を得ていた

その三千代が不比等と秘密の関係を持つ仲になった
三千代は不比等の胸にわだかまる野望をかぎとり、不比等は天武天皇・皇后の日常を知る女官三千代に潜む上昇志向と、事をなすための同志の才能を見つけた

そして、いくらかは不比等の女性への好色と、三千代の男性への好色があっただろう
不比等は4人の妻を持ち、7人の子を得た。4人の妻のうち 2人は人妻で夫との間に子があった。不倫を好む男だった

三児の子を持つ三千代は、不比等に後半の人生を懸けて身を任せた
三千代と不比等が関係を結んだ頃は、三千代の夫は筑紫に赴任した
三千代も不倫を好んだのだが、美努王が妻を不比等に売った面もある
不比等が実権者になってから、美努王は順調に昇進しているのだから

そして、不比等と三千代は真の同志になった。二人の部屋は密議と謀略の密室となり、三千代は皇后を介して不比等の出世をはかった