るるの日記

なんでも書きます

万物第一番目(神の化身第一番目)は水【太陽ではなく?】

2021-10-21 15:53:57 | 日記
■神は最初に「水」として顕れ
後に万物の姿をとった
万物は神の化身
神の化身の第一は水である
だから水神を大切に祀り
古井戸を埋める時も、格別な祭儀を丁重に行う

■隠身の神が、最初に姿を顕されたのは「水」である
【地球が熱球である時代に水蒸気が発生し、それが雨となって降り、地球をさらに冷やし、また水蒸気の発生をそくし、またそれが雨となって降り注ぎ、海が生まれ、その海の中で微生物が発生し、それが陸上に上がって陸生植物となり、陸生動物となった】

■生物は海の中から発生した
【ウミ】は生み、産み、熟み、、海
となり、総じて新しきものが出現することを【ウミ】と言ってきた

■古大社の荒魂社が、ことごとく泉や井戸の水源地になっている
アラには荒ぶる意味の漢字の他に
新、顕、現、露、など
【露は空中の水気が露となって現れるから、隠されたものが顕れるとなる】

カミの漢字は隠身、幽身、鏡身、、
【果実の種子のように、隠れている生命力をカミという
つまり神は見えないお方】

だからこそ、大自然の神霊が姿を現すときは、水が最初であるとして、水源を荒魂社とした

仏菩薩は理念の御方・その理念を奉じてこの世を動かすのが自然神霊

2021-10-21 15:00:37 | 日記
産土神(うぶすながみ)は村人のことを、見ぬき見通しで見守っている。神社から氏子の家々に【神光通覧】といって御光がつながっており、氏子の生活を見守ってくださっている

産土神とは、その多くが自然神霊で、多くの庶民は【龍神さま】として崇めている
またある者は山の神、海の神を信仰している

龍神は、風を起こし雨を呼び、水を治め波を鎮め、竜宮には無尽蔵の宝を貯蔵している

龍神は、霊界にいて大神通力を持つ祖先霊の眷属である

仏菩薩は理念の中でつくりだされた御方であって、その理念を奉じて活躍する眷属が龍神たちである

【善は永遠に善の様相を示さず、必ず善も滞れば悪に変ずる】善悪よりも、清く明るく、素直、正直に

2021-10-21 14:38:44 | 日記
古神道では、人が罪を行っても「罪科汚」は祓い浄めれば消滅したので、事々に【大祓の儀式】が行われ、それにより人々の罪は解除され救われたのである

罪科汚は、決して来世まで持ち込むことはなかったのに、仏教が伝来してくると、「人の罪科は【業】となって残る」とされた

この業は輪廻の原因となり
輪廻転生を繰り返す
業から脱出するには六道輪廻の煩悩から解脱しなければならない、、、
仏の加護によらなけろば罪業は消滅しない、、という

♦️けれども【業】というものは、瞑想によって、潜在意識を湧き上がらせて、そのなかの【無明・迷い=誤った認識】の部分を吐き出してしまえばよい
(吐き出すためには、正しい智慧をそそぎ込む必要があるが)

古代日本社会では、おおよその善悪は定められていたが、【善必ずしも永遠に善の様相を示さず、必ず善も滞れば悪に変ずる】ことを知っていた
なので、改革を求められるときには、【一部の人々には悪に見えるけれども、必ず結果においてよかったと思う日が来るから忍耐せよ】とさとしたものである

善悪よりも【清く、明るく、素直、正直】であることに重きを置かれた。そうゆう人々の間に仏教や儒教がひろまり、人々は素直に受け入れた

結果、生活は儀礼化
今までのように自然な形ではなく、すべてが論理的に判断されるようになってきた
だから、「功(いさおし)と過(あやまち)を正確につけよ」、という教訓などが、次第に人間を不正直にし、言い訳をするようになり
自分がいかに正しいかを主張するようにさせてしまった

それまでは、お互いが清明にして正直であったので、人を疑う必要もなかったから、古代の日本人は常に
「あな天晴れ、あな楽し、おけ~」と唄いあげる日々であった

しかし、宗教戒律が制度化され
個別の懲罰が制定されると、人々はのんきにしてはいられなくなった

観音様と天照大神【32相と32方】

2021-10-21 13:49:18 | 日記
観音様(観自在菩薩)
女とも男ともつかぬ豊満な姿には、慈母のような親しみを感じる
観音とは「衆生の願いを自在に見て慈悲を行う」という意味

神道でも元来「神明は居ながらにして見貫き見通しである。だからいつどこからお願いしても即刻お助けがある」という信仰だった

観音様は三十三相を持っている
中心は【正観音】で
他に三十二相を現す

太陽の光は四方八方、
十六方三十二方に放射される

皇室の紋は
八重十六弁の菊花紋は
三十二方に放射される太陽の光明をシンボル化している

心霊研究・古代の洗脳【神道→仏教思想】

2021-10-21 13:30:01 | 日記
■古代日本人は、神や幽霊を視ていたようです
神や幽霊のいる向こうの世界を【幽世(かくりよ)】と呼び、その世界の人々を【隠身の人(かくりみのひと)】と呼んでいました

幽世はこの物質界の中に、次元の異なる形で複合していて、澄明なるものは軽く横水平世界に自由自在に移行し、濁っているものは重く沈み不自由に固定する



この図は、異なる次元の世界が九層あり、すべての異なる次元世界が私たちの足下で結束していることを現す
現世の中に異なる九層世界があるのです

■神々は高天原で働いている。しかし仏教には生産がない極楽浄土がある。だから労働のある高天原は地獄の一種と解釈され、大化の改新から13年目に、神道家であった藤原鎌足までもが仏教に洗脳されまして、京都府山科で維摩経会を開き、盂蘭盆会を催し、地獄への墜落を逃れようとしました

古代日本人は、もともと死や幽霊や神は不思議ではなく、当たり前に存在していると認識していたし、死や幽霊は忌み嫌うものではなかったはずなのに、、


■古墳時代になると、外来宗教が人の罪科と質を決め、その罪科の懲罰としての地獄があることを強調して説くようになることで、死や幽霊を恐怖の対象にさせてしまったのです【罪業輪廻、地獄行きは必定】

■古事記、日本書紀の編纂では、イザナミの死について「神さり坐(ま)す」と表現し、死後は【黄泉国】という穢い国へ行ったとした

一方でイザナギは「日のわか宮に昇りましぬ」と表現している。神々は高天原から降りたものであり本来そこに帰るものとしての死が当たり前だからだ

仏教思想の「女人不浄」の思想に影響(洗脳)されて、イザナミを穢い国に置き去りにしたと表現したのであります

とにかく仏教の暗い死後世界観は、貴族たちを恐怖させた。そして神道の【みそぎ】が無視されはじめ、諸仏に救いを求め神仏習合を普及させた