るるの日記

なんでも書きます

ルルの人生の目的【無色透明になり、他者の未解決の問題を持つ鎧の浄化に導くこと】全人間の真の理解者になりたい

2021-10-15 11:20:30 | 日記
■透明な人に心流れる
真の理解者との人間関係は
真の理解者側は透明
そこに対面者が転移
何かの目的のための人間関係ではなく、人間関係自体に意味があり(心のふれあいを求める本能)、その意味に支えられて対面者は真の理解者に心を許し、転移も可能となる

■本当は人間関係にいい、悪いはない
真の理解者との【よい人間関係】は
ある意味、転移によって成立する
過去に(こと両親と)よい人間関係を持たなかった人は、真の理解者との【よい人間関係】も成立しにくい
過去の人間関係の+のものが、よい人間関係の基礎(陽性転移)
しかし、転移は過去の浄化されない思いなので【いい、悪い人間関係は非現実的】

真の理解者と対面者との【人間関係】は、現実のふれあいによって起こる(いい、悪い差別なし)

■過去の浄化されていない非現実的な思いを、浄化へ導いてくれる透明な人〈浄化は本人でする〉

しかし非現実的転移があるからこそ、疑い無い深い心の交わりが着々と固められる
理解者側、理解される側の立場を越えて2人の心の結びつきを感じられ
魂の出会い状態となり、2人ともに同じ方向を向き、ともに世界を探求していく状態となる(真の理解者は対面者の世界に住み、共に動く)

転移場面(過去の浄化されない思いが顕れる)は今までの全人生の縮図

2021-10-15 10:41:34 | 日記
■心が病むと
物事を現実的に視ず
過去の転移による自分の心のこだわりによって物事を歪めて視る
自分の不安、恐れ、欲望を
物事に投射して物事を歪める
妄想はそうした産物

■自分の心は健康だという人が
真の理解者との面接を受けると
「自分には甘えたい気持ちもある。だけどそんなことは大人げないし、自分は甘えたい気持ちにこだわらない」
と、智的現実洞察にすぐに至る
面接場面が深く進んだ時はじめて
「自分は甘えたい!子どもみたいに甘えたい」と叫んで、実際真の理解者に甘えられる

■防衛が崩れ不安定になった時
激烈な転移(過去の浄化されない思いが現在に顕れる)が起こる。その無力で不安定な自分を支えてもらいたいような、依存的感情がむき出しになり、真の理解者を求める
自己中心的に求める

■防衛が崩れ不安定になった時
深い問題が明るみに出る
問題が頭、言葉でのべられるにとどまらず、感情がそこに凝縮され生々しい体験になってくる
これを認め実感を伴った洞察となる(本当の自分を知る。もどる)

■転移場面は、人の全生活の縮図
そこを処理することで、生活を変えていける


過去は現在の気持ちに生き、現在の気持ちを深く見つめれば過去の遺物の浄化となる

2021-10-15 10:16:31 | 日記
過去の強い体験は無意識に残り
その色眼鏡で現在の現実を
歪めて見たり、感じたりしている

なので、、
過去の人間関係は
現在の人間関係に持ち込まれる
無意識に、、
あるがままの相手ではなく
過去の人間関係のイメージで相手を見ている

これを【転移】という
転移による知覚・感情は、現在のあるがままに対するものでなく
過去の持ち込みで非現実的
(必要以上の思いは何かが転移されている)

真の理解者を、対面者は自分の親兄弟、友人などの転移として知覚し、その人々との人間関係の様式や対人感情を、真の理解者との関係に持ち込まれる

★心の不安定な人ほど転移を起こしやすい。過去の重要人間関係の中のショックが消化(浄化)されていないため、どうしてもそれで現実を歪める



今までずいぶん無理をして成長した大人の仮面をつけてきた

2021-10-15 09:57:15 | 日記
⭐️私たちは精神的にずいぶん無理をして成長してきました。子どもの心が残っているのに、年をとるのでそれにフタをして、大人としての防衛的構えで生活しています
フタをした子どもの心は、本当はまだ子ども、、なのに成長した大人として生活をし、仮の世を過ごしてきました。もう、、無理限界です

■真の理解者との深い面接場面では、その子どもっぽさがあらわれて、甘え、わがまま等をありのまま見せることができ、子どもの心は消化(浄化)し、子ども時代を卒業できます

★真の理解者は、相対者中心の人間関係を作りだします

★真の理解者は、自己を持ち込まず透明な心の状態でいるので、相対者は自分の姿を鏡にうつすように見ます

★真の理解者との透明関係の中には、相対者の心のあらゆるものが持ち込まれ自分自身と直面することになります
愛に飢えた人は愛を求め
敵意に満ちた人は攻撃し
権力欲の強い人は支配しようとし
服従的防衛している人は従順に振る舞う

■真の理解者相手に、相対者の傾向を容赦なく投げつけることは、深い自分があらわになってくることです
それを真の理解者は適切に扱うことで相対者は、普段気づかない深い自分に気づく
気づくことで、真の理解者に対する相対者の無意識的な傾向の投げつけが、実感が伴った表現となり浄化されるのです

■真の理解者との面接場面が、深く常識を越えたものであるほど、、
つまり防衛の必要が少いほど、、
心に深く根ざした傾向が持ち込まれてきます
根からおとなしい人が、その心の奥底にある敵意を、真の理解者に向けてくるには、深く常識を越えた面接場面が必要です
真の理解者に敵意を向けることが、心の鎧〈おとなしく振る舞う自分〉を浄化することであり、それを相対者が実感することが真の自分にたちかえる1つの大きなステップになります



自由自在な心=仏性 防衛的束縛=自我

2021-10-15 09:06:12 | 日記
【真の人間全般に対する理解者】は
相対する人に抵抗感を起こさせない態度の持ち主である

■防衛は本能
人はふつう、心が裸のままでは生きずらいので、防衛で安定が得られている
【会社で嫌いな上司に面と向かって「あなたは嫌い」とは言わないし、会社に行きたくないからとすぐ休んだりしない、、裸の心の防衛】

■常識という防衛的枠組み
人は誰しも防衛的構えを働かせて社会の中で暮らしている。常識などは人に共通する防衛的枠組みで、社会生活をスムーズさせている
【常識は平均人を基準】にある程度の仮面をかぶらせる。(常識は極端な防衛までは要求しないが、平均基準ではない人にとっては、ひどい束縛になる)

■不安に根差した頑固な防衛
不安からのこのような防衛は、直面する現実を頭では認めても心から認めず拒否し、非現実的夢にしがみつき、そして現実に即した感情になれずにいる

このような防衛が固定し心の鎧になると不安は防がれるが、これが【不安に根差した頑固な防衛】だとは気づかないで、単に【自分の性格】だと感じている。錯覚された安定は束縛された狭い視野の世界に閉じ込める

このように、防衛はそれなりに自分を安定させ捨てることができない。防衛が崩れる時、、一度自分の安定は失われるのだが、【真の理解者】の理解を本当に感じなければ、防衛が崩れるほど自分を真の裸にすることはできない

■不安に根差した頑固な防衛という【不合理な防衛】で不適合を起こしていたり、不適合を起こしていなくても現状より自由自在な心になるためには心を裸にしなくてはならない

防衛は本能なので、防衛を一度解いても自然に新しい防衛はでき、安定が得られる。この自然に新しい防衛は、どうにでも自由自在に作ることができる。(ありのままの裸の自分と現実に適応するように)

■無理に裸にすると、とんでもない羽目になる。裸の苦しみに陥って精神異常、行動異常、自殺に走る場合があるので注意を要する
(無理な北風がふくと、誰もが本能的に防衛を強くする)
自己の精神の盛り上がりを待つ
積極的精神活動が自然に抵抗を破る
(心の太陽を待つ。太陽を浴びることで心は積極的精神活動する。その積極的精神活動は抵抗を破る)

■1つの防衛が除かれれば、又その奥の防衛に突き当たる。そして裸になればなる程、心は自由自在になる
心は深くなる

■究極の心の裸【自由】
究極は本当の自分とか、防衛とか、鎧とか分けて考える必要がなくなり、自由自在な自分と一体化している視点となる。正見