■古代日本人は、神や幽霊を視ていたようです

神や幽霊のいる向こうの世界を【幽世(かくりよ)】と呼び、その世界の人々を【隠身の人(かくりみのひと)】と呼んでいました
幽世はこの物質界の中に、次元の異なる形で複合していて、澄明なるものは軽く横水平世界に自由自在に移行し、濁っているものは重く沈み不自由に固定する

この図は、異なる次元の世界が九層あり、すべての異なる次元世界が私たちの足下で結束していることを現す
現世の中に異なる九層世界があるのです
■神々は高天原で働いている。しかし仏教には生産がない極楽浄土がある。だから労働のある高天原は地獄の一種と解釈され、大化の改新から13年目に、神道家であった藤原鎌足までもが仏教に洗脳されまして、京都府山科で維摩経会を開き、盂蘭盆会を催し、地獄への墜落を逃れようとしました
古代日本人は、もともと死や幽霊や神は不思議ではなく、当たり前に存在していると認識していたし、死や幽霊は忌み嫌うものではなかったはずなのに、、
■古墳時代になると、外来宗教が人の罪科と質を決め、その罪科の懲罰としての地獄があることを強調して説くようになることで、死や幽霊を恐怖の対象にさせてしまったのです【罪業輪廻、地獄行きは必定】
■古事記、日本書紀の編纂では、イザナミの死について「神さり坐(ま)す」と表現し、死後は【黄泉国】という穢い国へ行ったとした
一方でイザナギは「日のわか宮に昇りましぬ」と表現している。神々は高天原から降りたものであり本来そこに帰るものとしての死が当たり前だからだ
仏教思想の「女人不浄」の思想に影響(洗脳)されて、イザナミを穢い国に置き去りにしたと表現したのであります
とにかく仏教の暗い死後世界観は、貴族たちを恐怖させた。そして神道の【みそぎ】が無視されはじめ、諸仏に救いを求め神仏習合を普及させた