■10月、出雲に神々が集う理由は無いし、出雲の祭神は怨霊神・祟り神であって福の神ではない
だが七福神信仰に便乗して、出雲でも多くの商品がうみだされ、オオクニヌシノミコト信仰は変質する。そして新たな路線を邁進し、現在の縁結び信仰まで至った
■第10代崇神天皇の時、宮中にあった神器の神威を畏れて、宮中の外に遷された。日本書紀はその理由を祟りとしている。その時、疫病により民の過半数が死亡し、百姓は流浪し、謀反が起きた。国家存亡の危機である
★鏡
トヨスキイリヒメによって大和の笠縫邑に遷し、後に伊勢の五十鈴川の畔に達して内宮となる
★勾玉
ヌナキイリヒメに祀らせるが、やせ衰えて祀ることができなくなり、ナガオチという者に祀らせ、天理の大和神社となる
★剣
伊勢に遷された
後年、ヤマトタケルに伊勢斎宮のヤマトヒメから授けられるので。剣はヤマトタケルによって活用され東征の武力の象徴となった。そしてヤマトタケルの手を経て熱田に祀られる。ただヤマトタケルはこの直後、若くして没する。剣は伊勢の封印を解かれて強力なパワーを発したが、その呪力はヤマトタケルをも巻き込んだ。ゆえに形見の草薙剣はその地に手厚く祀られることになった。それが熱田神宮である
しかし剣は盗難にあう。犯人は捕らえられたが剣は行方不明になったまま。朝廷は全国に情報をつのったところ、675年に土佐大神から剣が献上された。剣はそのまま宮中にとどめおかれた
686年に天武天皇の病を占ったところ、「草薙剣に祟れり。即日に尾張国の熱田社に送り置く」(日本書紀)。天武天皇はこの直後に崩御する
ちなみに草薙剣をヤマタノオロチの体内から斬り出した剣は、スサノオノミコトの十握剣(とつかのつるぎ)であるが、これは石上神宮(いそのかみじんぐう)の神宝とされる。これを平安京へ移したため、桓武天皇は祟りによって病を発し崩御した
祟られて当然という背景が、この剣にはあったのだが、祟り神や怨霊神は、祀ることによってかえって守護となる(御霊信仰)。そもそも神社祭祀は、祟り神の霊力を受け継ぐための儀式であったように思う。天皇の三種の神器も御霊信仰そのものだ。滅ぼした敵、ヤマタノオロチの剣をとりこんで草薙剣としたのだから、、ゆえに「三種の神器は天皇に祟る」のである
しかし、、なぜ祟るのか?
つづく