るるの日記

なんでも書きます

小魔族・藤原氏【小悪魔並の藤原信頼・最後に後白河上皇に命乞いに出たが許されず斬首】新魔族・平清盛

2021-10-07 08:09:59 | 日記
■譲位した後も、院政を敷いた後白河上皇の勢いは衰えない。これは信西という政治顧問がひかえていたからである

しかしこの状況をよく思っていなかったのが二条天皇で「譲位したなら政治も任せろ」と側近らと組んで、ことごとく上皇の意見と対立した。これに上皇を見限った藤原信頼が加わり、反後白河上皇グループを結集した

■藤原信頼は「武力解決しよう」と、信西に恨みを持つ源義朝に打ち明けたところ、義朝は喜んで同意した。後は相手の油断を突いて、有利に事を運ぶだけである

平治元年12月4日
好機が訪れた。後白河上皇方の平清盛ら一行が、紀伊の熊野神社へ参詣に出た。都からは往復で1ヶ月はかかる
その日、信頼は義朝を呼び、反乱の計略を練った

12月9日夜半
計略実行
※信頼は義朝が総大将に据えた
※五百余騎で御所を囲んだ
※上皇を牛車に押し込み、一本木御所に幽閉すると、三条殿を燃やした
※信西の住む館を急襲し燃やした
逃げ出す者はすべて斬り殺した
※内裏を襲い天皇を黒木御所へ幽閉
※翌日、主だった反対勢力の公卿たちを捕らえ、信頼は大臣の位と大将の職についた

■謀反の動きを察知していた信西はその夜、奈良に向かっていた。途中で星占いをしたが、すべて大凶という有様を見て、もう逃げられないと覚悟した。信西は信楽の峠を越えたところで、地面に深い穴を掘り、一本の竹筒を口にくわえてそこに入り、その上を土でふさがせた
即身成仏である

しかし、藤原信頼は、都へ戻った信西の従者を詰問し、信西の所在を突き止めると、掘りに行かせた
14日朝、源氏の手に取り押さえられた信西は、すでに半死半生の状態だったが、その場で打ち首にされ、都でさらし首にされた。これを信頼や義朝は高みの見物をした
怨みは深かった

■熊野街道で都の急変を知った平清盛は、近隣の土豪に援軍を求め、
一門の兵を建て直し都へ向かった
一方、反藤原信頼派の公卿たちは、天皇を救出し、平清盛のいる六波羅へ案内した。また後白河上皇も逃れて仁和寺へ入ると、藤原信頼は逆臣の身に陥った

■風向きは一気に清盛方へ流れた
勅命という大義名分の上で、藤原信頼と源義朝を討てる。その後の合戦は、清盛の一方的な勝利となった

藤原信頼は、仁和寺の後白河上皇のもとへ命乞いに出たが許されるはずはなく、六条河原で斬首
源義朝は、尾張国野間まで逃げ落ちたところで、土豪の長田忠致に闇討ちにあって首を取られた

■戦功のあった平清盛は正三位に昇って平家の栄華を築くことになった
しかし、義朝の三男頼朝を温情で伊豆へ流したことが後の平家滅亡を導くことになる