るるの日記

なんでも書きます

下り参道を下りきった谷底に鎮座する出雲大社の意味

2021-10-31 14:14:49 | 日記

■出雲は宗教的拠点の一つであり
陰の信仰の地であり
幽冥界である
それゆえ比婆山が出雲とされている

出雲大社は参道が下り坂になっている。これを〈下り参道〉、行きつく先に祀られる神社を〈下り宮〉と呼ぶ。これはきわめて特異な形なのですが、そうであるべき意味があります

■水神を祀る神社である場合、水辺、湖、河川、海をご神体として礼拝するのであるから、周囲から下ることになる

しかし、そのような要因を伴わないにも関わらず下り坂になっている神社がある。見上げる場所はたくさんあるのに、わざわざ見下ろす場所に神を祀ってあるのだ。これはあえて低きに祀る祭祀法=封印である

★一宮・貫前神社(群馬県冨岡)
中世まで大和朝廷の支配の届かない蝦夷の地であった。一宮・貫前神社の祭神は【フツノヌシノミコト】で、もう一柱の祭神である謎の神・【姫大神】を監視し封じている

姫大神は蝦夷の首長・巫女王・女性祭主。大和朝廷はその霊威の祟りを怖れ、この地を沈静化するためにも、手厚く祀り、ここに封じた

★草部吉見神社
阿蘇の古き神々を祀る
神武天皇東征の時に、高千穂からこの地に来た際に、池の大蛇を退治しその池を埋めて宮殿を設けた
これは比喩で
大蛇退治はこの地の族長を討ち取った意味で、宮殿は討ち取った族長の神霊が怨霊神・祟り神にならぬよう封じるための呪術である

♦️出雲大社
延々と続く下り参道を下りきった谷底の湿地に出雲大社は鎮座する。この地は現在二本の川に挟まれているが、川が氾濫すれば水浸しになるし、地質も河川敷のような地質であっただろう。このような地質の場所は、通常住宅が建てられることはない。神社ならなおさらである。
にも関わらずそこに、出雲大社は建設されたのだ

拝殿には巨大な注連縄がかかる
注連縄は聖地・霊地であることを示すと同時に、封じる意味もある

奇数の柱
横向きの神座
、、も怨霊封印の意味を持つ



神殺しが征服の証〈神武東征〉

2021-10-31 12:37:04 | 日記
神武天皇が大和に入る際に、各地で激戦があり、族長を殺害している
族長は宗教的権威でもあって
その一族の【神】である

これらの神々を殺すことで、神武天皇は征服を成し遂げていく。【神殺しこそが、征服の証なのです】

ナガスネヒコを殺害した際に、民を殺害する必要はなく、ナガスネヒコとともに殺害された一族はごく一部です。民には新たな神【アマテラスオオカミ】にかえて、帰順させればよいのですから

草薙剣は祟り神(オオクニヌシノミコト→オオモノヌシノカミ(ナガスネヒコ))の依り代なので、今でも手あつく鎮魂されている

2021-10-31 12:19:15 | 日記
三輪山の神の姿は蛇体
蛇体、すなわち「オロチ」と呼ぶ
それは旧神、縄文の神、祟り神、などと貶める意図がある

かつて三輪山のある地に存在した、三輪王朝は、ニギハヤヒ&ナガスネヒコ王朝だった
ニギハヤヒは布留山へ
ナガスネヒコは三輪山へ埋葬された
三輪山の神はナガスネヒコなのです

崇神王朝に祟りを為した〈神宝〉は、ナガスネヒコの依り代である
天叢雲剣(あめのむらくものつるぎ・後に草薙剣と呼ばれる)
そして、それは【祟り神の依り代】として今でも手あつく鎮魂されているのです

三輪山の神の名をオオモノヌシノカミとするのは、ナガスネヒコの尊称で、【偉大なるモノノフの主】という代名詞である

大和の首長オオクニヌシノミコト→出雲へ封印→大和はオオモノヌシノカミが受け継ぎ祟る→大神神社に祀る

2021-10-31 11:58:09 | 日記
■崇神天皇は、オオモノヌシノカミの祟りを鎮めるために、大神神社として祀った
この祟り神、オオモノヌシノカミの依り代が天叢雲剣(あめのむらくものつるぎ)である。【後に草薙剣(くさなぎのつるぎ)と呼ばれる】

■スサノオノミコトの十握剣(とつかのつるぎ)は、ヤマタノオロチを退治した【勝者の剣】
ヤマタノオロチの体内にあった天叢雲剣は、【敗者の剣】
敗者は、怨霊神・御霊神となる
畏敬を込めて手あつく祀れば、強力な守護神となり、さもなければ祟る

■敗者のヤマタノオロチとは、部族連合の比喩で、連合体の中心地は大和。
連合体の首長はオオクニヌシノミコト。その剣が天叢雲剣である

オオクニヌシノミコトの霊威が、出雲に遷され封印され、その後を引き継いだのは、オオモノヌシノカミである。オオクニヌシノミコトの天叢雲剣も引き継いだ

★大神神社
奈良県桜井市三輪
祭神・オオモノヌシノオオカミ
オオナムヂノオオカミ
スクナヒコナノカミ

★檜原神社
奈良県桜井市三輪
祭神・アマテラスオオカミ
イザナギノミコト
イザナミノミコト

檜原神社は、三輪山の西側山麓にある。この地に崇神天皇が宮中で祀っていたアマテラスオオカミ、すなわち八咫の鏡をこの地に遷して、トヨスキイリヒメに奉斎させた場所である
垂仁天皇の時に、伊勢へ遷すことになり、後にこの地は〈元伊勢〉と呼ばれている

檜原神社は拝殿も本殿もなく、神籬(ひもろぎ)・磐座(いわくら)を依り代とし、鳥居があるのみである。しかも鳥居は格子で塞がれており通り抜けられない

これは閉鎖、閉門である
入ることも出ることもできない
してはならぬ
理由は背後にある三輪山の封印である

日本神話は、事実と比喩が混ざりあっている

2021-10-31 11:12:19 | 日記
大物主とは
大いなる、物の、主

物→もののふ(物部)
武力・軍事に長けた者
これが氏族名になるのは後のこと

偉大なる物部の主とは
物部氏の氏祖であるウマシマジの伯父である長髄彦(ながすねひこ)
古代大和において、長髄彦は武人の象徴だったが、天神・ニギハヤヒの裏切りによって、ニギハヤヒに指示されたウマシマジに殺された。これは神武東征軍が大逆転する重要ポイントとなるが、このニギハヤヒ裏切りの表現は国譲りの比喩である

オオクニヌシノミコトの国譲りは神話。神武の東征は歴史である。神話で行われた国譲りを、歴史的事実として神武は体験しなければならなかったのだ

オオクニヌシノミコトが国譲りし、それを受け取るニニギは、なぜか高千穂に降臨する。出雲か大和に降臨せずに、、、
これではその子孫が出雲、大和まで出かけなければならない、、
神武東征は事実だが、国譲り神話はその事実を受けて比喩として書かれたものだろう