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松下竜一『豆腐屋の四季』を読んで

2017-07-23 22:58:19 | 読んだ本
      松下竜一『豆腐屋の四季』          松山愼介
 松下竜一の本を読むのは始めてである。むかし『砦に拠る』(一九七七年)という本を見かけて気になっていたことはある。調べてみると『砦に拠る』は一九五八年から十三年間、筑後川支流の津江川に造られる下筌(しもうけ)ダムに反対し、蜂の巣城を築いて抵抗した室原知幸を中心とした人々の戦いの物語であった。私はてっきり、松下竜一がこのダムに抵抗した本人であると思っていた。
『豆腐屋の四季』はこの松下竜一が青春時代に、母の急死に直面し、父と共に豆腐屋稼業に精を出す日々を綴った物語である。その中で短歌に出会うのだが、その過程を新木(あらき)安利『松下竜一の青春』(海鳥社 二〇〇五)でみてみる。松下竜一は豆腐をスパーカブで配達して回り、その得意先に三原食料品店があった。その三原食料品店の奥さん・ツル子さんは気のそまない、いとこ同士で結婚し、すぐ離婚を考えたが、いとこ同士ということもあって親戚への気兼ねから離婚に踏みきれないうちに、洋子が生まれたのだった。松下竜一とツル子さんが親しくなったのは、ツル子三十六歳、竜一二十五歳、洋子十四歳の時であった。ちなみに三原食料品店では豆腐一丁を二十円で販売していた。
 竜一とツル子はお互い恋愛感情をいだき、ツル子は「もしわたしがもう一度若くなれるんだったら、あなたに結婚を申し込むんですけどね」と言ったという。ある日、竜一はツル子に娘・洋子の内気な性格について相談を受ける。その時、竜一の心のなかに、五年後、洋子が高校を卒業したら結婚しようという考えが目覚めたのだった。〈洋子ちゃんと結婚して、洋子ちゃんをしあわせにすることで、あなたをしあわせにする〉という考えである。洋子も「いつかはそういわれるやろうなち、うすうす思ってたもの。……あんたと母ちゃんが好き合っているのは、早くから知っていたわ。……うちはかあちゃんに返事しなかったんよ。いやだといったらかあちゃんが哀しむやろうなち思うと、はっきりいやとはいいきらんやった」ということで、早い結婚には抵抗があったが、結婚を了承する。「相聞」の取材の場面でもあきらかなように、この洋子は相当、内気で自分の意見を言えないようである。良く言えば、母の言うことを聞く素直な娘ということになるが。悪く言えば、松下竜一の悪知恵が勝ったと、言えないこともない。とりあえず、常識はずれの結婚であった。ともあれ、このツル子から、短歌を勧められ、朝日歌壇に投稿することになる。当時(一九六二年)は九州圏のみの歌壇で、隔週日曜日に掲載された。選者は五島美代子、近藤芳美、宮柊二であった。
 私は、短歌的抒情はあまり好まない。それは平凡なことでも短歌的定形を持つことによって、なにか感動を倍化して読者に強制しようとしていると思えるからである。その中でもわずかに、六〇年安保を歌った岸上大作や、岡井隆の『朝狩り』、同世代の道浦母都子の『無援の抒情』は愛読した。松下竜一の歌で、私に関係するのは「空母迫れどただ卒論に励めりと書き来し末弟の文いたく乱る」と「悩みぬきヘルメット持たず佐世保ヘと発つと短く末弟は伝え来(く)」の二首である。この時、松下竜一は「角材で機動隊に挑んでも無益だ」、現政権を選挙で打倒するしかないという考えであった。ところが、体力的に無理がきて豆腐屋を廃業し、物書きになることを決意してからは違った。
 一九七一年九月、豆腐屋を廃業してから一年三カ月後、西日本新聞から始めて原稿の依頼が来る。大分新産業都市の裏側の公害を取材するものであった。これを契機に松下竜一は反公害、反権力の闘いに、自身も関わり、闘う人々に身を寄せたノンフィクションを発表していく。その白眉は『狼煙を見よ 東アジア反日武装戦線〝狼″部隊』(河出書房新社 一九八七)であろう。これは、一九七四年八月の三菱重工爆破事件の大道寺将司に取材したものである。私は一九七二年の連合赤軍事件で新左翼の時代は終わったと思ったので、爆弾闘争には否定的で新聞を読むだけだった。この本を読んでみると、一九八四年ごろに東京拘置所で『豆腐屋の四季』がブームになったという。京大の竹本信弘(滝田修)、交番爆破事件の鎌田俊彦、大道寺将司が獄中のメンバーにすすめたらしい。過激な闘争を展開した彼らの対極にある庶民像として『豆腐屋の四季』がよまれたらしい。大道寺将司は松下竜一への手紙で《ぼくが人民とか大衆とくくってしまう中に松下青年(当時の)の生活があった訳だし、三菱で死傷した人たちも含まれます。ぼくはそういったものが全然見えなかったのじゃないかと思いました》と書いている。
『狼煙を見よ』で松下竜一は、ほとんど衝動的に豆腐屋を廃業し、著述業に転じたのは一九七〇年七月であるが、そこまで思い詰めさせたのは全共闘運動の熱気だったと書いている。皮肉なことに、竜一は隣り町の巨大火力発電所計画による公害に反対する運動にのめり込んで行き、《『豆腐屋の四季』の模範青年はあっという間に「市民の敵」とされ、この町から出て行けという声を浴びせられることになった》という。
 私は、今まで、東アジア反日武装戦線の爆弾闘争も、彼らのイデオロギーも評価しなかったが、この『狼煙を見よ』を読んで、彼らの考えがおおよそわかり参考になった。彼らが最初に標的にしたのは、南京事件の松井石根を慰霊する、熱海にある興亜観音、伊豆のA級戦犯を祀った殉国七士の碑であった。植民地時代の朝鮮で死亡した日本人の納骨堂のある曹洞宗大本山総持寺、アイヌ・モシリ侵略の資料を集めた北海道大学・北方文化研究施設、旭川市の「風雪の像」、兵器生産の三菱重工、アジアに進出している大成建設、間組、花岡鉱山事件の鹿島建設、そしてレインボー作戦ということになる。
 それにしても『松下竜一その仕事』全三十巻を六十七年の生涯で書いたのはすごいことである。
                          2017年6月10日

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