郷土教育全国協議会(郷土全協)

“土着の思想と行動を!”をキャッチフレーズにした「郷土教育」の今を伝えます。

野口雨情の路傍童謡講演(小石川子ども風土記ー10)

2018年09月06日 | 機関誌
 大正十一年、詩人・野口雨情は、小石川区西丸町の町かどで、子どもたちに童謡を聞かせる会を行ないました。

 当時、西丸町・西原町・宮下町あたり(今の文京区千石四丁目)には「百間長屋」とよばれた貧しい人たちの住む町がありました。

 明治末には町の人口二千五百人、そのうち千人ほどが学校に行く年令の子どもたちでしたが、わずか六・七十名のみしか就学していなかったようです。
 その子どもたちでさえ・・・

 「降雨に当たりては、にわかに登校児童減ずるは、雨具の用意無きゆえにて、登校児童は一本の破傘の下に三・四人まるくなって入り来る・・・。(明治三十九年「風俗画報」より)」


 雨情は、この町に友人たちと通い文化活動を行いましたが、そのようすを当時の子ども雑誌「金の星」は次のように紹介しています。

 「六月十一日夜八時から、野口雨情先生が、貧民窟で有名な東京小石川西丸町の路傍に立って、童謡のお話しをしたり、童謡を歌ったりして、大勢の貧しい家の子供さん達に聞かせました。

子供さん達は、どんなに喜んだことでせう。野口先生の羽織の袖や袴につかまって、涙を浮かべて聞いていました。
野口先生も涙を浮かべて幾度も幾度も歌ひました。
往来の人々も皆立ち止まって、声一つ立てずに聞いていました・・・。
(「金の星」大正十一年八月号より)」


 参考文献
   ・日本童謡史  藤田圭雄著  あかね書房

 
  十五夜お月さん     野口雨情
 
     十五夜お月さん
     御機嫌さん
     婆やは おいとま とりました

        十五夜お月さん
        妹は
        田舎へ もられて ゆきました
     
           十五夜お月さん 
           母さんに
           も一度 わたしは 遇いたいな 
                          (「郷土教育」710号より)

-中村光夫-

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