「日本の有権者はかなり愚かだ」と前川さんをして言わしめたのは、この国がもはやかなり危機的な状況にあることを意味するのではないだろうか。
学者や議員、その他一定の地位にある者がこうした発言をすると、「上から目線だ」とか「独善的だ」とか言われがちだが、この「愚かな」事実は客観的に存在していると思う。
もっとも、それを良しとしている層も確実に存在するから、普遍的な化学式として表すことはできない。
では何故、愚かな有権者がかなり存在するに至ったか?
その答えは単純明快、政権による愚民化政策が功を奏したからだ。
歴代自民党政権の政策が賢い有権者を育ててこなかったのであるが、その最も典型的な事例が「教育」分野に見られる。
近年、選挙権の年齢が18歳に引き下げられ「主権者教育」というものが取りざたされているが、その中身たるや実にお粗末で子どもや教員たちを愚弄したものである。
先進諸外国の例を見れば、日本の教育のレベルの低さは一目瞭然だ。
これらの先進国と日本の違いは何かというと、これも単純明快だ。
諸外国は民主主義を重要な価値として基盤に据えて、子どもや教員の自主性を国が推奨している点である。
国によって若干の違いはあり、例えばフランスでは「主権者教育」という言葉は使わず「市民教育」と言われるものがある。
学校教育の目的は「『知識の伝達』に加えて『共和国の価値を共有させること』」と定めている。
「共和国の価値」とは自由、平等、寛容、人権の尊重などを指し、憲法的価値ともいえる。
仮に日本で「日本国の価値を共有させる」などと言ったら、とんでもなく国家主義的な右翼的理念が押し付けられそうだが、フランスでは以下の様である。
「共和国の価値」、たとえば「自由」という価値からは「他者の尊重」という考えが導き出される。
また、「平等」という価値からは「差別の拒否」といった考え方へ発展する。
それは、異なる価値観の持ち主が、「ともに生きる」ための作法を身につけることが重要視されるからである。
こうした学校教育の目的を具現化することが、即ち主権者になるための教育となっているのではなかろうか。
つまり、中学・高校生のうちから、自分の考えを文章化したり発言したりする訓練を受けており、社会的な問題を考える機会が多くある。
さらに、学校や社会における積極的な参加の機会が保障されて、実際に行使されていることが、「主権者教育」となっているわけだ。
(つづく)
-S.S-