前回、ふれなかった「図形」「グラフ」についてです。
「図形」の場合、道具(定規、コンパス、分度器)が上手に使えればいいのですが・・・。
ただ、人には得意、苦手があり、仮に図形がかけなくても、生活に困ることはないわけで・・・。
では、「図形」の学習そのものをやめてしまうべきかというと、それは反対です。
定規、コンパス、分度器を使う「体験」としての「学習」は必要だと考えます。
上手、下手は別として、「使い方」を「体験」するくらいでいいと思うのです。
(最近、私は小学校における学習内容の多くは「体験してもらう」でいいと思うようになりました。)
「グラフ」の場合です。
今回の感染症のことでもそうですが、いろいろな「グラフ」が出されています。
実際の生活ではグラフを「作る」よりも、「読む」ことの方がよほど多いと思います。
「グラフ?何それ?」では、話にならないので、用語としてだけでも「グラフ」は覚えてほしいなとは思います。
個人的には、人を騙すのに「グラフ」はすごく使いやすいと思っています。
政治において、多数派を味方につけるのに、どれだけ利用されてきたことでしょう・・・。
「図形」を振り返ってみて、学校で身につけてもらうべき「技能」とは何か?
(定規はともかく、全ての児童がコンパスや分度器は習熟しなければいけないのか?)
「グラフ」を振り返ってみて、学校で知ってもらうべき「知識」とは何か?
(「読み取る→意見や考えを持つ」ことは必要かも。でも全ての児童が、自分でグラフを書くことができなければいけないのか?)
もう一度、考え直す必要があると考えました。
-K.O-