昨日は電車で内子に行きました。
吟行句会だったのですが、内子の町を自転車で走りました。
街中に古い煎餅屋があり、内子高校時代の大江健三郎の写真がありました。
彼は、内子町の奥の大瀬出身で、内子高校に入ってその煎餅屋に下宿していたが、退学。
松山東高校に入り直しました。
内子高校時代、いじめにあったという話が残っています。
大瀬出身の俳句仲間が「彼はかなり変な人だったそうだ」。
そうでしょうね。
松山東高校で、伊丹十三と知り合い、二人でフランス語でラブレーなど読んでいたという話です。
都会の不良青年に導かれたか。
そういうのは私の頃もいた。
また自分だけのテーマを持つ人も大勢いて、放課後の教室で自由文化部みたいなものが毎日開かれていた。
キルケゴール、天文、万葉集、サルトル、サドに金瓶梅・・・いろいろなことを幼いながら教えられ、教えた。
討論会みたいなものを飽きもせずやっていた。他校から政治的怪文のようなものも回ってきた。
考えてみれば、地方は学校の数も少なく、集まっていたのだろう。
また教師も抑圧せず放置した。
みながり勉などしていないふりをしていたが、将来に漠然とであれ目的をもっていた。
そういう子どもたちはたいてい脇に逸れないから(毎夏休みに家出する警察署長の息子とか)管理する必要がない。
もちろんいじめなど起こりえなかった。
子ども、少年、青年、―おそらくは大人も—未来の希望があり、大切にされていればいじめや抑圧はないのだろう。
国富とは人のことだとよく言われる。
勉強ができるかどうかで、希望を振り分ける社会は多くの国富をどぶに捨てている。
そんな社会には希望がない。
※編集者注:「アマルコルド」とは、映画『フェリーニのアマルコルド(邦題)』というイタリアの誇る巨匠フェデリコ・フェリーニ監督が、生涯忘れられないと話す、自身の少年時代を回想 して描いた、港町リミニでのある一年の物語です。タイトルのアマルコルド自体、「私は思い出す(Am’ arcord)」を意味するロマーニャ地方の方言から持ってきているようです。ちなみに 原題に<フェリーニの>という接頭語は付いていません。
-k.M-