1985年、私が勤務していた学校が創立50周年を迎えたときのことです。
当時、地域の小学校の50周年というのは、実に大きな行事としてとらえられていました。
最も熱心だったのは、PTAや同窓会を始めとした学校をとりまく団体や地域の大人たちでした。
実質的に周年に関わる作業をする現役の教員や、最も中心であるべき現に在校する子どもたちはともすると蚊帳の外へ置かれるような雰囲気が漂っていました。
「どうせやらなきゃならない周年行事なら、やって身になるものをやろうじゃないか!」
そんな気持ちを抱いたのは私一人ではありませんでした。
副読本作成がその一つでした。
内容的には3年生が「地域のうつりかわり」を学習する際に役立つものであると同時に、大人が読んでも十分耐えられるものと考え、2年がかりで全教員が参加して作成に当たりました。
私は編集担当3人のうちのひとりでした。
何はともあれ、まずは出来上がった副読本の表紙・裏表紙の写真を紹介します。
これは、学区に在住された画家でもある鶴岡保則さんの描かれた「隅田川風土記」に収められた絵画をちりばめたものです。
因みに鶴岡さんの曽孫さんを私は担任していました。
-S.S-
当時、地域の小学校の50周年というのは、実に大きな行事としてとらえられていました。
最も熱心だったのは、PTAや同窓会を始めとした学校をとりまく団体や地域の大人たちでした。
実質的に周年に関わる作業をする現役の教員や、最も中心であるべき現に在校する子どもたちはともすると蚊帳の外へ置かれるような雰囲気が漂っていました。
「どうせやらなきゃならない周年行事なら、やって身になるものをやろうじゃないか!」
そんな気持ちを抱いたのは私一人ではありませんでした。
副読本作成がその一つでした。
内容的には3年生が「地域のうつりかわり」を学習する際に役立つものであると同時に、大人が読んでも十分耐えられるものと考え、2年がかりで全教員が参加して作成に当たりました。
私は編集担当3人のうちのひとりでした。
何はともあれ、まずは出来上がった副読本の表紙・裏表紙の写真を紹介します。
これは、学区に在住された画家でもある鶴岡保則さんの描かれた「隅田川風土記」に収められた絵画をちりばめたものです。
因みに鶴岡さんの曽孫さんを私は担任していました。
-S.S-