最近の『セクハラ』『パワハラ』は、ものすごい勢いである。
そこかしこで、「○○によるセクハラ」「□□によるパワハラ」と何かとネタが尽きない。
こうなってくると、本当に「セクハラ」「パワハラ」があったのかは、どうでもよくなり、
気に入らない人物に対しては
「セクハラをした。」
「パワハラされた。」
といえば、誰でも「セクハラ」「パワハラ」の「加害者」に仕立てあげられる。
そんな気がした。
昔、といっても、1000年以上前の日本では、少しでも疑わしい人物は、ほとんど
「謀反の疑いがある。」
とされてしまった時期があったという。
ところで、片っ端から「謀反の疑いがある」という「排除」が横行した時代の後は、
すでにあった強力な「権威」がさらに「強化」されて、
「謀反」などという言葉が「畏れ多い」とされるような時代になったと解釈している。
今の「セクハラ」「パワハラ」が、このまま続くのか、それとも、新しい価値観や権威が生まれるのか…。
-K.O-
そこかしこで、「○○によるセクハラ」「□□によるパワハラ」と何かとネタが尽きない。
こうなってくると、本当に「セクハラ」「パワハラ」があったのかは、どうでもよくなり、
気に入らない人物に対しては
「セクハラをした。」
「パワハラされた。」
といえば、誰でも「セクハラ」「パワハラ」の「加害者」に仕立てあげられる。
そんな気がした。
昔、といっても、1000年以上前の日本では、少しでも疑わしい人物は、ほとんど
「謀反の疑いがある。」
とされてしまった時期があったという。
ところで、片っ端から「謀反の疑いがある」という「排除」が横行した時代の後は、
すでにあった強力な「権威」がさらに「強化」されて、
「謀反」などという言葉が「畏れ多い」とされるような時代になったと解釈している。
今の「セクハラ」「パワハラ」が、このまま続くのか、それとも、新しい価値観や権威が生まれるのか…。
-K.O-