ムスリムの子ども達とのかかわりは、私にいろいろ発見をさせてもらえます。
最近、「複合語」で「放し飼い」(放す+飼う)と、教えて、
「日本では柵などで囲った場所で、牛を育てている。その一つが『放し飼い』なんだけど、ところで、みんなの本国(アフガニスタン)では、牛を飼っている場所はあるの?」
と聞いたら、
「そのような場所はない。」
「牛を育てる人はいない。」
とのことなのです。
そこで、アフガニスタンでは、どうやって牛を「飼育」しているのか聞いてみたら
「牛は『育てるもの』ではなく、『見つけるもの』だ。」
とのことでした。
では、どこで見つけるのかと聞いたら、
「みんなで、見つけに行って、捕まえてトラックにのせて、その後はアッラーの教えに従い処理する。(※屠殺でも、屠畜でもない)、そうして得た肉を食べている。」
というのです。
では、牛はどうやって育っているのか、聞いてみたら、
「牛は『雲』が育てる」とのことです。
要は、牛の飲み水は、雲がもたらす「雨」であり、食べる草は、雲がもたらす「雨」によって育てられたもの、とするようです。
牛も「野生動物」なのだと考えれば当然ですよね。
確かに、そう考えると、特定の場所に集めて、人為的に飼料を与えて育てている牛の肉では、アッラーの教えに合わないのも理解できます。
最後に逆に質問されてしまいました。
「先生は、自身のそばに牛がいたら、どう思う?「捕まえる?」」
私は基本、人間以外の生き物は、「見るだけ」にしたいです。
もちろん牛肉を食べるのは好きですが。
-K.O-
最近、「複合語」で「放し飼い」(放す+飼う)と、教えて、
「日本では柵などで囲った場所で、牛を育てている。その一つが『放し飼い』なんだけど、ところで、みんなの本国(アフガニスタン)では、牛を飼っている場所はあるの?」
と聞いたら、
「そのような場所はない。」
「牛を育てる人はいない。」
とのことなのです。
そこで、アフガニスタンでは、どうやって牛を「飼育」しているのか聞いてみたら
「牛は『育てるもの』ではなく、『見つけるもの』だ。」
とのことでした。
では、どこで見つけるのかと聞いたら、
「みんなで、見つけに行って、捕まえてトラックにのせて、その後はアッラーの教えに従い処理する。(※屠殺でも、屠畜でもない)、そうして得た肉を食べている。」
というのです。
では、牛はどうやって育っているのか、聞いてみたら、
「牛は『雲』が育てる」とのことです。
要は、牛の飲み水は、雲がもたらす「雨」であり、食べる草は、雲がもたらす「雨」によって育てられたもの、とするようです。
牛も「野生動物」なのだと考えれば当然ですよね。
確かに、そう考えると、特定の場所に集めて、人為的に飼料を与えて育てている牛の肉では、アッラーの教えに合わないのも理解できます。
最後に逆に質問されてしまいました。
「先生は、自身のそばに牛がいたら、どう思う?「捕まえる?」」
私は基本、人間以外の生き物は、「見るだけ」にしたいです。
もちろん牛肉を食べるのは好きですが。
-K.O-