1976年、私が教員になって5年目の事です。
「クラスノート」というものを作りました。
受け持ったクラスの子どもの親たちに自由に記述してもらうノートで、順々に回していくようにしていました。
学級担任としては学級だより「さんいち通信」なるものを不定期に発行していましたが、それだけでは一方通行になってしまうので…という発想から始めたようです。
何故、そんな事を思い立ったのか今では分かりませんが、当時の私は村田栄一さんの「学級通信ガリバー」にかなり影響されていたように思います。
村田さんが夜、静かな自宅で鉄筆で刻む一言一句が素敵な学級通信になったわけですが、私の頃はガリ版印刷のロウ原紙からボールペン原紙に変わり、その後間もなく原稿用紙に書いたものがドラム式ファックスで製版する様式になりました。
5年間で目まぐるしく変化した時期にありました。
その学級通信に「クラスノート」の中身が時々紹介されていました。
当時27歳になったばかりの若造の提案に、誠実に応えていただいた保護者の皆さんには今でも有難いことだと思っています。
以下に一部を紹介します。
今の子どもはまったく可哀想だと思う。私たちの小学生時代は子供天国あった。親に一度も勉強を強制された事もなく、学校から帰ればカバンを放り出して日が暮れるまで遊んだものだった。今はどうだろう、親は子供の顔を見れば勉強勉強と騒ぐ。私はそんな母親にはなるまいと思っていたが現実は厳しく・・・、今日も、子供の顔を見ては「勉強しなさい」と言ってしまう愚かな私なのです。(k子)
教育とは私自身の毎日の生活であり、毎日の行動そのものだと思っています。教育と勉強は別に考えてみたいと思います。学校での全体的な生活は教育だと思いますが、学校は勉強する所であり、子供達にとって、勉強は仕事であり、仕事とは、生活の基礎であり、本職にしろ内職にしろ、一生懸命に働いてこそ生活の「かて」が得られるのであり、自分で進んで行う気持ちがしっかりした「基礎」を作り、良い仕事をする人間になる第一条件だと思います。これを教えるのが私の教育です。(k)
クラスノート大変楽しく拝見致しました。私の家は、心の狭い母親と心の広い父親とがいつも意見をくいちがわせております。教育についても同じ、主人いわく「子供は自由に遊ばせておくにかぎる。やる気になればその時は言われなくてもやるようになるから今は体力作りが一番と・・・。しかし、良い学校に進むにはそんな呑気な事を言ってたら駄目、今は塾に入るにも試験する時代ですもの、と私。そうゆう親がいるから塾がはやるし、子供は友達をけおとしても自分が上がろうとする。頭は良くても精神的思いやりのない子供になってしまうのだなどと言われると、もっともだと思うし、と言って今のまま(勉強は一切しないし、家にいればマンガにかじりついている状態)では、ちょっと困るような気もするし、考える毎日です。本当は「子供よ大いに遊べ」と言いたいのですが・・・。頭は空っぽ、胸はいっぱい、何を書いたらいいのかわからぬ。3年1組のクラスノート、ずっと続く事を祈る。(男の子の母より)
-S.S-