「話を聞かせてほしい。」
と、近づいてくる人がいる。
その人自身は「善意」でいるのかもしれない。
しかし、大抵の場合、はた迷惑である場合が多い。
本人の話をはじめのうちは聞くのだが、全部聞く前に
「何が正しくて、何が間違いなのか。」
勝手に決めつける。
善悪を決めてほしいなどと頼んだ覚えもないのに、「全ての正解は自分が決める」と言わんばかりに。
それはまだいい方で、中には本人の話を聞く前から、「結論ありき」で話を聞こうとする人はもっと困る。
話を聞いているようでいて、ほとんどを自分の用意した「結論」に本人からの話を持っていく。
だから、内容などははなから聞いていない。
端々の言葉を自分の中でつなぎ合わせている。
そして、つなぎ合わせた話について、自分の用意した「結論」に合わせて「説教」をはじめる。
そうしてなされる「説教」は、大抵話した本人の非難をする内容になる。
説教をした本人は「言いにくいことを言ってやった。」とご満悦だろう。
しかし、実際にははじめから「結論ありき」であり、自分の決めたとおりに物事を進めただけだから、「一丁上がり!」といったところだろう。
「親身に聞いてもらえる」
と少しでも期待した本人は、一層損をした気になる。
「話さなければよかった。」
「話して損をした。」
「話のきき方」いや、「話のきいてもらいかた」というのは、本当に難しい。
しかし、それ以上に
「誰に話を聞いてもらうのがいいのか。」
それを判断するのは、もっと難しい。
-K.O-
と、近づいてくる人がいる。
その人自身は「善意」でいるのかもしれない。
しかし、大抵の場合、はた迷惑である場合が多い。
本人の話をはじめのうちは聞くのだが、全部聞く前に
「何が正しくて、何が間違いなのか。」
勝手に決めつける。
善悪を決めてほしいなどと頼んだ覚えもないのに、「全ての正解は自分が決める」と言わんばかりに。
それはまだいい方で、中には本人の話を聞く前から、「結論ありき」で話を聞こうとする人はもっと困る。
話を聞いているようでいて、ほとんどを自分の用意した「結論」に本人からの話を持っていく。
だから、内容などははなから聞いていない。
端々の言葉を自分の中でつなぎ合わせている。
そして、つなぎ合わせた話について、自分の用意した「結論」に合わせて「説教」をはじめる。
そうしてなされる「説教」は、大抵話した本人の非難をする内容になる。
説教をした本人は「言いにくいことを言ってやった。」とご満悦だろう。
しかし、実際にははじめから「結論ありき」であり、自分の決めたとおりに物事を進めただけだから、「一丁上がり!」といったところだろう。
「親身に聞いてもらえる」
と少しでも期待した本人は、一層損をした気になる。
「話さなければよかった。」
「話して損をした。」
「話のきき方」いや、「話のきいてもらいかた」というのは、本当に難しい。
しかし、それ以上に
「誰に話を聞いてもらうのがいいのか。」
それを判断するのは、もっと難しい。
-K.O-