郷土教育全国協議会(郷土全協)

“土着の思想と行動を!”をキャッチフレーズにした「郷土教育」の今を伝えます。

哲学堂にて ーある画家の肖像画からー(1) 

2022年12月05日 | 日記

Ⅰ 哲学堂と「肖像画」

なかのZERO西館で75回油絵金陽会があったので見に行った。

75回とは、随分長く続いた絵画展だ。

 

 

展覧会を見ていると、油絵展の中に、一つだけスケッチがあった。

「井上円了先生」と題したスケッチだ。

円了(いのうえ えんりょう1858年~1919年)とはいったいどういうことをした人なのか。

当のスケッチ画家に聞いてみた。

 

すると、「私の家の近くに哲学堂があるのです」という。

だから、なぜこの絵を描いたのですか、この哲学堂と関係があるのですかと聞いた。

すると「円了が哲学堂をつくったのです」という。

 

実際、哲学堂公園の案内板に「諸学の道は哲学にあり」、「真理の追求」として哲学堂を作っている。

画家は「円了は東洋大学(哲学館を前身とする)の創始者です」と述べた。

円了はその後哲学堂を都に寄付した。

都は哲学堂を中野区に移管した。

そうして、こんにちまで、哲学堂が維持されてきた。

 

絵を描く時、写真に撮って、絵にする人がいる。

だが、この画家のスケッチ方法は、円了の銅板を見て描いたのだという。

イギリスのチャーチル首相は絵を描くとき、写真を見て描いたということで、よく、引き合いに出される。

この画家は直接銅板を見て描いたという。

今回の展覧会でも、写真から絵を起こした人が多かったという。

 

哲学堂にはその気になって捜せば、格好なテーマの画材がたくさんある。

それにしても、素敵な建物が多いと思った。

私が哲学堂に初めて来た日は、画家たちがグループで絵を描いていた。

私が思うに、多くの画家たちがここに来て円了の銅版の顔をわざわざ描くことはないだろうと思った。

そこらここらに魅力的な絵の題材が転がっているからだ。

この画家がいうように円了の銅板の前を他の画家たちは「素通り」してしまうだろう。

 

画家が描いた円了のスケッチのなかには、「四聖堂」と書かれてある文字を認めた、これ何ですかと画家に尋ねた。

絵の他の部分に孔子、釈迦、ソクラテス、カントと書いてある。

「四聖」とはこれらの人々かとすぐにわかった。

スケッチにいろいろ書いてあると後ですぐに思い出せるから便利だ。

 

円了の哲学堂にはただ「四聖」だけを選んであるのではなかった。

六賢台(聖徳太子、菅公、荘子、朱子、龍樹大士、迦比羅仙)、三学亭(平田篤胤(ひらたあつたね→神道)、

林羅山(はやしらざん→儒道)、釈凝然(しゃくぎょうねん→仏道))と哲学堂にはにぎにぎしいほどの「聖人」がいた。

おまけに、哲理門には幽霊像や天狗像も置いてある。

 

ここにあるのは、明治・大正期になんとなく日本にありそうな日本人受けする聖人たちだと思った。

へ、カントがあるの。

え、三学なんて選んでいるのと思ったりした。

 

 

 

 

ーY.Kー

 


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