12月17日(日)文京区本郷で、地域紙「日々の新聞」(いわきで発行)の編集人・安竜昌弘さんの講演会がありました。
主催はふくしま支援・人と文化ネットワーク。
◆講演の要旨
3・11震災・原発事故から6年9か月8日経ちました。
非日常が日常になりました。
放射能を気にする生活はエンドレスに続きます。
3・11直後、世の中変わると思いました。
でも何も変わらなかった・・・いやそれどころか、悪化しました。
分断が起こり、対立がむき出しになりました。
いわき市内の仮設住宅で暮らす避難者の車に『双葉に帰れ』と落書きがありました。
記事に取り上げると新聞社への批判のメールが多数寄せられました。
知性的で社会的活動をし発言力もある人でも自主避難者に対して冷たいです。
「逃げたんでしょう、自己責任でやればいい。私たちは残って地域を支えているんだ」と。
「自主避難者は可哀そう。原発反対、放射能コワイと言い続けなければならない。避難先で子どもがいじめられたり辛い思いをしている。でも今更、帰るに帰れない」という新聞投書がありました。
福島は復興イベントが盛んで、「福島プライド」とか「いわきは元気だ」とか、祭り、キャンペーンに若い人たち、子どもたちを巻き込む。
若い人達に抵抗はないようだ。
「批判は悪」と思い込んでいるようで、批判されるのも嫌。一人が批判めいたことを言うと、「みんな頑張っているのですから」と脇の大人がさりげなく発言を抑え込んでしまう。
放射能を気にする母親がいて、その娘が中学生でブラスをやっている。
6号線開通記念式典で、ブラスバンド部も出場することになった。
娘は「自分は参加しません」と言えない、母親も「ウチは行かせません」とは言えない…ものが言えない圧力があります。
社会が脆くなって、分断・対立が生まれ、その中で同調圧力も強まる。
放射能に対する感情もいろいろある。議論しても平行線。
相手にオレのように生きろと言っても無理。
相手の言うことに耳をすます、違いを受けとめる、本質を見据え相手の立場に立って考える・・・大変困難な状況だけれど、被災者である我々が、否応なく乗りこえなくてはならない困難であり、そのことにより、我々自身、我々の社会が成熟していく機会なのだと思います。
6年過ぎて、被災当事者たちが、震災や原発事故について書き始めました。
一気には広がりませんが、小さく囁くように作品が現れています。
次代へのメッセージをみんなが書いていくことではないでしょうか。
放置された田畑でオリーブの木を植える試みがいわきで広がっています。
オリーブの樹は脂が多くてセシウムを吸収しないのだそうです。
背伸びしないで、現実を見つめ、着実に自分らで社会を作り直していくことだと思います。
静かな、内省的な語り口で、心に沁みました。
いわきに残留した人、避難した人の分断は、相手の話を聞き、相手の立場になって考えることで、解消できると思います。
お互いに被害者なんですから。
でも、国、官僚、県、東電本社の経営陣は、聞く耳を持たない、巨大な壁。
壊すほかないのですが・・・やるだけやって、次代に託す。
「次代へのメッセージ」でしょうか。
-K.M-