結果的にほぼ満足できる冊子に仕上がったものの、第一稿を上げた時には自主規制が働いていた様な気がします。
日教組が掲げる「教え子を再び戦場に送るな」のスローガンを実践で示そうと張り切っていた私たちは、教室実践だけではなく運動会や卒業式・入学式等の学校行事にも「日の丸・君が代」をはじめとする戦争につながる全てを見直し、場合によっては拒否する闘いを組んでいました。
ある日の中休み時間に、放送委員会が . . . 本文を読む
(写真は創立当時の林町小学校)
明治から大正にかけて、小石川は都内でも有数の乳児死亡率が高いとともに、未就学児の多い町でした。
明治四十四年、その町にひとつの新しい学校が誕生しました。林町小学校です。
この学校は、これまでにない画期的な学校でした。
貧しき町の子どもたちを学校から遠ざけていた「授業料」を取らない学校だったのです。
ところが、それでもまだ学校に来れない子どもたちがいました。
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この絵は「キンダーブック 8/10(昭和29年1月号)」に掲載された作品です。
動物好きの清水さんが気持ちを込めてお描きになった絵でしょうが、この作品が清水良雄さんの絶筆となりました・・・。
-M.N- . . . 本文を読む
Sさんの近所の松林は住宅地のなかでほっとする空間だったのに、残念ですね。
相続税とかいろいろあったのでしょう。
首都圏あたりの500平方メートル以上の市街地の山林は造成可能であれば、宅地の固定資産税から造成費用分が差し引かれた額になるようですが、F市のように宅地の固定資産税が高いところでは、所有者の経済的な負担はたいへんでしょう。
また、管理者として、藪にしない、とか近隣に迷惑をかけないで維持 . . . 本文を読む
ここに住み始めて7年目になるが この辺りは台地の南端にあたる
平安期には東京湾が深く入り組んだ海岸縁だったようだ
その後の埋め立て等による変化で海岸線は次第に南下していった
その名残とも言うべき松林が残っていたのだが
私たちが住む頃には その数もかなり減っていた
それでも 自宅の東側一帯は竹林と松が混在する林となっていた
所有者は近所の高齢ご夫妻
春の終わりごろには筍をおすそ分けし . . . 本文を読む
湯河原からバスで約9分、幕山公園の湯河原梅園よかった。
山と噴火した岩石を背景に楚々とした梅の花が素晴らしかった。
百聞は一見に如かずです。
私の近所の池上梅園、私の田舎の千葉県横芝光町の坂田城址の梅園も素晴らしいです。
桜めぐりもいいけど、梅もいいです。
梅干しの販売もあります。
数日前に大分の富貴寺のそばの食堂で頂いた梅干し美味しいかった。
焼酎のお湯割り最高です。
-T.M . . . 本文を読む
この絵は「プレイメイト 3-2(昭和25年2月)号」に載っていた絵です。
幼稚園児が楽しそうにツバキの花を見ている図です。
ちなみに「プレイメイト」は、当時清水さんが住んでおられた広島の出版社「広島図書」が戦後に出した幼児絵雑誌ですが長くは続かなかったようです・・・。
-M.N- . . . 本文を読む