よく分かる 住まいづくり・・(檀建築コンサルタント)

私達の考える住まいは、住まいづくりの原価を探り、無駄のない資金で、遊び心のある家を作る事。

私のプロフィ-ル

2009-09-17 10:56:02 | とりとめもなく

私が建築の仕事に就き始めたのが、19歳の時、建築設計も考えたが、骨組みが分からなければと思い、構造計算事務所に就職したのだった。

その頃はまだ卓上計算機はなく、有っても金額は高く事務所にもそんな便利なものは買ってはもらえなかった。毎日毎日、朝早くから夜の最終電車まで仕事をし、そのおかげで多くを勉強することが出来たことは、今振り返ってみれば有りがたかったと思っている。

その頃事務所は、主力を海洋博に置いていたので、沖縄海洋博 が終わった頃、仕事が入らなくなり若い従業員から辞めさせられ、事務所を縮小した。結局2年の計算実務の中で、多くの事を勉強でき現在に生かされている。その後、当初からの目標であった建築設計の方向に進み、5年間設計に従事していく中で、机上だけでは分からないところが多くなり、

現場に出て、現場監督の仕事に就き、それまでの机上の仕事とは違い、仕事を前に進める為と予算を守る為に、敏捷さが要求され、即決の答えを出さなければ仕事が前に進まない事も多くあり、的確な判断が求められるのが現場の仕事で、苦しい事も、辛いこともあったが、充実感は確かに感じられ物づくりの良し悪しは、現場の動きによって大きく変わってくる事も理解できた。

現場では多くの失敗があり、その失敗の分だけ知識として残った。 大きな失敗はなかったが、目立つもの目立たないものも含め、自分の中で「こうしとけば良かったのに・・」と思った事が今では自分の経験となって、生かされている。

現場が楽しくて、結局8年間の長い期間現場で働かせてもらい、その後設計には戻らずハウスメ-カ-で自分の知識と経験を試してみたくなり、セ-ルスエンジニアとして5年間で2社のメ-カ-を渡り歩いた。

その頃、一級建築士で、構造計算と建築設計と現場を経験したセ-ルスマンは少なく展示場に訪れるお客様を説得するのには十分な武器を持っていたことになったのか、 あまり苦労はせず売り上げを伸ばす事が出来、年収も一千万を超えるまでになったが、 結局、年収を守る為、金儲けの為に働く事になって行く自分が嫌になり、軌道修正をする事を決め、39歳になった時その年収を捨てた。

 結局、技術屋は技術屋としてのプライドがあり、私を信頼して家を建てる決断をさせたクライアントに対し、工場で作られた建物や、利益最優先で考え出された、人に優しくない商品で家を組み立てて提供するのが申し訳なく、またクライアントの家づくりに対する思いを出来るだけ多く叶えてあげたいと思い、40歳で、設計事務所ではなく、もっと敷居を低くした、クライアントと同じ目線で家づくりを出来ればという想いで、設計コンサルタントとしての事務所を設立して、既に15年が経過し、多くのお客さんに恵まれ、気に入って頂いた作品も残すことが出来た。

設立当初から原価を基本に予算づくりを進めてきた結果、多くの無駄を省く事も出来、施工業者も当社の趣旨を理解し、本来の家を作るため持っている全ての力を家作りに注げる技術屋集団を作り出す結果ともなり、それが現場に形として現れるようになった。

その証として、デジブックに編集した写真集を公開し、それに伴うエピソ-ドも書かせていただき、また自然素材で作る良さを少しでも感じ取って頂ければと思っている。写真や、文章ではなかなか表現出来ない部分は有りますが、予算を生かし無駄の無い納得できる”家づくり”のきっかけとなれば幸いです。

デジブックURL

 http://hiroba.digibook.net/index.php?command=open_list&key=companyuuid&value=4f91214c33672d2038d5ab220ab45c61