テキスト主体

懐中電灯と双眼鏡と写真機を
テキスト主体で語ろうとする
(当然、その他についても、語ったりする)

幼年期の終わり

2012-09-15 23:53:58 | 本、小説、漫画、動画、映画、音楽等
この不可思議な大きな心象宇宙のなかで
もしも正しいねがひに燃えて
自分とひとと万象といっしょに
至上福祉にいたらうとする
それをある宗教情操とするならば
そのねがひから砕けまたは疲れ
じぶんとそれからたったもひとつのたましひと
完全そして永久に
どこまでもいっしょに行かうとする
その変態を恋愛といふ
そしてどこまでもその方向では
決して求め得られない
その恋愛の本質的な部分を
むりにもごまかし求め得ようとする
この傾向を性慾といふ

                ―宮沢賢治 春と修羅より

最後の5行を省いて、プラネテスという漫画に引用されていた。

記事タイトルは、クラークの代表作のタイトルです。

二つ(漫画も含めれば三つ)の間に、明確な共通点はありません。
ナゼか思考が勝手に3つを結びつけてしまいました。

平均寿命の半ば以上を過ぎると、自分自身は、昇進したり降格したり、失敗したり達成したりするけれども、成長はしてないなぁと自覚する。
ひとつの賭け、プロジェクトに5年かかるものは稀ですが、その何倍もの時間を無為に過ごす、あるいは、目標に向かって、あくせくして過ごす。

どちらの過ごし方もアリなんですが、ふいに立ち位置がおぼろげになって、
かつて読んで、影響を受けたものを思いだし、追体験してみる。


無変哲な休日でした。