三法印とは「法華経」の中に出てくる教えの根本原理の言葉です。
「諸行無常」・「諸法無我」・「涅槃寂静」を三法印といいます。
(しょぎょうむじょう)・(しょほうむが)・(ねはんじゃくじょう)
「諸行無常」:この世の全ての現象は常に変化する、と言う意味です。
「諸行」とは、この世の中に現れる全ての現象。
「無常」とは、何時も同じ状態でいるものではない。
と言う意味です。
「すべてのものが移り変わる事をはっきり認識して、目の前の小さな変化に
驚いたり、ジタバタしないような心を持ちなさい」と言う教えなのです。
「諸法無我」:「この世の中の全ての物事は、必ず他のものとつながりが
あるもので、他と切り離されて孤立しているもの(すなわち我)
はない」と言うことです。
「生物である人間の身体と、石や鉄のような鉱物とは全然別なように見えて
いても、われわれの身体の大部分は水と言う鉱物であり、また塩とか、鉄とか
銅と言うような鉱物の養いがなければ生きてゆけない」事を見ても、およそ察
しがつくと思います。
「涅槃寂静」:「迷いをすっかり吹き消してしまってこそ、人生苦と言うものが
すっ かりなくなって、平穏な、安定した生活が得られるのだ」と
言う教えです。
どうすれば「涅槃寂静」の境地に達せられるのかといえば、「諸行無常」「諸法
無我」を悟るほかに道はありません。
我々が、様々な人生苦に悩まされるのは、「諸行」が「無常」であること、すなわち
物事は原因・結果の法則によって常に変化するものであることを忘れて、ただ目の
前の現象にとらわれ、目の前の利害得失に心を動かされるからであって、
もし我々が仏道を学び、修行する事によって、「諸行無常」の真理を本当に悟る
ことができたら、目の前の環境がどんなに変化してもそれに動かされない、
安定した心を持つことが出来るようになるのです。
また、物が不足したり、物事が円滑に運ばなかったり、衝突や争いが起こったり
して、悩み苦しみを感ずるのは、人と物、人と人との間の調和がとれてないから
です。なぜ調和がとれないかといえば、互いに「諸法無我」の真理を知らないから
です。すべての物、すべての人は一つの大生命に貫かれ、目に見えない所で一つ
の糸につながっているという真理を思い出して、互いの小さな「我」を捨てて、その
繋がりを自他共に生かそうという気持に徹底すれば、ひとりでに他との調和を生じ
ます。調和が生ずれば、過不足も、ぶつかり合いも、摩擦もなくなりますから、いつ
もやすらかな心でいる事ができるわけです。これも「涅槃寂静」の境地です。
このように「涅槃寂静」とは「諸行無常」と「諸法無我」を悟る事によって得られる
理想の境地であります。
この「涅槃寂静」の境地に達する具体的な生き方、修行の方法を教えになった
のが「八正道」「六波羅蜜」「四諦」の教えです。(別記事を参照してください)