「因縁」について・その2
「因縁」とは決して暗いものではないのです。
この世の全てが「因縁」によって生じ、人にもその影響を与え、人の行動を
決めていきます。それは、目に見えるものばかりではなく、人の心にも作用
しているものなのです。
「縁」に触れると言う事は偉大な事です。「縁なき衆生は度し難し」と言って、
縁がなかったらその問題には絶対触れません。縁があるからその問題に触
れて、何か出てくるのです。出てきたものは、人ごとではなく「全部自分だ」と
受け取ればよい事です。
「何でこんな問題が出てくるんだろう、俺とは関係ないのに?」と言ったらおし
まいです。風だって何かに当たって音がする。「今日は風が強いね」なんて言
いますが、でも誰も「風」を見たことはない。どうして見えないものが分かるの
でしょう、「肌で感じる」からです。台風だって何も無ければ音はしません、電
線や電柱、木や家があるからそれに触れて音がする訳です。
触れる物があるから音がするのです。風が持っている性質が、物に触れて音
になって出てくるのです。ヒューヒューと。風は本来ヒューヒューなんて音はしな
いはずです。「電線」と言う「縁」に触れてヒューヒュー鳴るのです。
人間も同じです、何かに触れる事によってそこに反応が出てくるはずです。
それが「縁」があると言う事です。風なんか姿形は見えないです、まるで人間の
心みたいな物です。けれども何かに触れる事によって、みえない「心」からも、
きっと答えが出て来るのです。「縁」に触れて何か起こったなら自分が悟らなけ
ればならないのです。
要するに、全ては「心」なのかも知れません。「心」が全ての「因」になっているの
です。その「心」が「縁」に触れて、現象が現れる。そしてそれを受け止めるのも
「心」なのです。
人は、その「心」が定まっていなかったり、思い違いがある時に折角の縁が生か
せないものです。「何で俺がこんな事をしなければいけないんだ」とか「あたしが
これだけしてやっているのに、あの人は分からない」なんて愚痴が出てしまいま
す。でも出てきた事は、全部自分だ、自分の「心」だと受け止めれば、むやみに
悩まなくても済む事です。
お経文に「心」の事を「心根は猿のようで、しばらくも留まる事はない」と看破して
います。猿のように絶えず動き回っている「心」の性質を表現しています。つまり、
心に拠り所がないと、いろんな現象に振り回されて物事を誤って判断してしまう、
と言っているのです。
誰でも、自分の「心」に従って行動します。その「心」の性質を考えずに、目に見
える事ばかりに囚われると、そこに「苦」が生まれるのです。
自分の今迄のやり方を振り返り、その「心」の性質を考える事も必要かと思いま
す。「縁」を大切に、自分の「心」を上手くコントロールする事が大事です