宿業・因縁・執着へのかかわり
「執着」は「執著」とも書き、三毒(貪・瞋・痴)の煩悩不浄の根源とも言われている。
十二因縁の中、貪・瞋・痴・慢・疑・・見、の貪(未熟)から愛(渇愛、妄執)に近い言葉で、摂取
、所有などの意味にも使われています。理解、認識、決知、判断の意味にも使われています。
自分のご先祖というものは、自分がある限り永遠について回ります。時代が変わっても変わるも
のではない。疲れた時、大変だなと思った時、その時こそ因縁が変わり、切れるのです。自分で
変わったなと思ったときは変わっていません。本当に変わった時は無になっています。
執着には、業障の三毒(身・口・意)に果報を受ける時節の定まらない事があらわになった時に
は、何を言っても聞けません。五欲と言って、五感の色・香・味・声・触が執着を起す五種の欲望
と言われます。又、財欲・色欲・飲食欲・名誉欲・睡眠欲の事も言います。
しっかり自分を磨くためにも、色々な事が出て来るのだと喜んで受け止める。その為に、宿業と
いう過去のご先祖様の行為が、前世の善悪を行なったために現在に及ぶ潜在的な力が出てき
ます。
十二因縁の無明の行(潜在的な形成力)が宿業として、自分が生まれた瞬間に識(識別作用、
潜在した無意識の奥の底)に影響を及ぼし、宿命とも言われ、仏教を信ずる、信じないに関わら
ず業が客観的に実在し、それが人々の人生を決定すると言われている。
どんな事でも受ける様にと言う気持ちになり、ご先祖様のご供養により、自分の心の行(心が
念々に洗い流す事を表す)を変える事より他にはありません。
何の為に自分の業が今日、色々と苦になって出ているか、その因縁は自分のご先祖様が蒔い
たのだからと、きちんと思えば、解決がつくと言われている。