禅語の教え
*曹源一滴水 (そうげんの いってきすい)
もののすべてに命が宿る
禅は、初祖の達磨(だるま)大師から六代目の慧能(えのう)禅師
(曹渓大師)の時代に大成しました。慧能禅師の下に多くの門
人が出て、七宗となり、さらにこれが日本に伝わって二十四流
に分かれます。しかし、あらゆる禅法は曹渓を源流とする一滴
の水に帰す、ということから、「曹源一滴水」と呼ばれるといいま
す。
ある日、弟子の僧がお風呂を沸かしすぎて、水桶で運んで冷ま
しましたが、その余りの水を無造作にザーッと投げ捨てました。
これを見た儀山禅師は烈火のごとく怒り、「その水を拾え」と命
じたそうです。
たとえわずかな水でも、庭木に注げばそれらが喜ぶ、一滴の水
にも仏の心、仏性が宿るとするのが禅の精神。節水の大切さは
もちろん、その一滴の水を捨てて省みない弟子の粗雑な心を
儀山禅師は厳しく諌めたのです。水を捨てるのは、自らの仏性
を捨てること。水を拾えと言ったのは、その粗雑な心を戒めると
同時に、いま投げ捨てたおまえの仏性を拾え、仏性を見よと言う
意味でもありました。弟子はこれを心に刻んで修行に励み、師の
教訓から「滴水」を名乗って後に天竜寺の管長となります。
一滴の水にも仏の命が宿るという精神が、「曹源一滴水」の語か
らは汲みとれます。水に限らず、豊かな物質社会に生きる私たち
は、つい物を無駄にしがちです。市f減も時間も有限のものです。
多くを持ちすぎると無駄が増えます。身の回りをシンプルにして、
本当に大事なものと長く付き合ったほうが、心地よい生活になりそ
うです。と説いています。
物があふれる現代、今、資源の問題が世界的の起こっていますが
、この事を予言したような教えで、身につまされるようです。
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