徒歩日本二周目(≧∇≦)只今関東地方!

昨日は今日の物語 今日の後に今日は無し…

会津を望む碑…

2013年09月18日 | 日記
会津藩士上陸の地に建つ石碑には
会津鶴ヶ城の石垣に使われる
慶山石が用いられ
その碑もまた会津若松を望み建ち
碑文の揮ごうは会津松平家
十三代当主松平保定氏の筆による…

余談ですが氏は会津藩最後の藩主
松平容保公の孫にあたり、後年
靖国神社の宮司に推薦されたおり
その要請を辞退した人物でもある…

戊辰戦争の薩長の戦死者が祀られ
賊軍とされた会津の戦死者が
祀られてはおらぬ場所にどうして
会津人がこれを受け入れようか…

その言葉は今も
会津人の心を揺さぶり奮るわせる…

斗南磐梯…

2013年09月18日 | 日記
戊辰戦争に敗れた会津藩士達は
翌年一八六九年十一月
新政府の命で陸奥移住が決まる…
二千六百戸、一万七千三百人と
記録される会津人達は
様々な経路で陸奥を目指したが
奥州道を歩き北上した藩士達は
晩秋から冬に差し掛かり
旅籠も会津人を理由に難色示し
陸奥に辿り着く事適わず
落命者が出るほど過酷であった…

その内日本海廻りの海路をとり
移住してきた一団千八百余名が
この地に上陸したのが
明治三年六月十日であったと
ある藩士の日記に記されている…

見知らぬ土地のこの先の暮しは
藩士達の想像を絶し
耐え難き苛烈を極めていく中
故郷会津磐梯山に似た釜臥山が
唯一人々の支えとなり
涙を流し苦しみに耐えたという…

人々はその山を斗南磐梯と呼び
遠い会津を偲んだ…