徒歩日本二周目(≧∇≦)只今関東地方!

昨日は今日の物語 今日の後に今日は無し…

斗南の名…

2013年09月22日 | 日記
「斗南」と名づけた由来には
ふたつの説がある…
一つは中国の漢詩の中にある
「北斗以南皆帝州」といわれ
ここも天皇の国に変わりなく
共に北斗七星を仰ぐ民である
と解釈されている…

そしてもうひとつは
南斗六星を語源とするもので
射手座の中央部を指す…
この星座を見ると
永久に放たれる事の無い矢を
射手が隣の蠍に向けて
構えている様にも解釈出来る…

蠍は薩長で射手は会津
それは当時の会津人の心境と
余りにも重なり合う…

秩父宮殿下御成記念碑…

2013年09月22日 | 日記
この碑は昭和十一年十月
皇弟秩父宮殿下、同勢津子妃殿下が
下北巡遊の際に斗南ヶ丘に
立寄った事を記念し建てられている…

駐米全権大使松平恒雄の長女である
松平節子(後に勢津子と改名)は
元会津藩主松平容保公の孫にあたり
昭和三年九月十四日の挙式は
賊軍の汚名に押し潰され続けてきた
会津人にとって
会津は逆賊に非ずと天下に知られる
大きな出来事だったといわれる…

見上げるほどの大きな記念碑からは
国を失い散っていった
会津士魂の感涙咽ぶ感激が
今だ止まずに聞こえて来るようだ…

辺りには土累や井戸の跡が残り
その生活の痕跡が尚更々に涙を誘う…