SAMMYのみちくさ日記

「気まま」に「みちくさ」しながら、ありのまんま思ったことを無精者が書いてるブログです(^_^)v

我流俳句(笑)ファイナル!

2020年01月13日 | Michi-kusa
成人の日。
義弟宅へ遅めの挨拶回り。

2日前。
仕事帰りにバイクで転倒。
身体の右側に打撲と擦り傷の痛みがあるので、子供たちと一緒に本気で遊べないことが非常に残念・・・。

子供たちもそのことを理解してくれようとしていて“やっしーおじさん。どうしたん?”と大人しく(笑)一緒に遊んでくれた。

いつものように、動いてやれないけど、まず裸足になるのが子供たちとの合言葉のようなもの(笑)

さっそく、笑った(笑)
先制攻撃!

足の爪に塗っとる(((*≧艸≦)ププッ


二人の成長を感じる。
できるようになったことをひとつひとつ見せてくれる。そこには、子供たちの愉快な発想が盛り込まれ、文字を読み書きできるようになったこと、そして、個々の性格なども見え隠れしていました。

側に来て、ちょこんと座り、その息づかいを肌で感じられる時間は、嬉しかった。
僕は、まさに、叔父バカである。


一緒にご飯を食べて、“おいしいなぁー”っていいながら会話し、笑い、また、遊ぶ。

義弟家族に、僕の身体のことで気を使わせてしまったけど、次に遊ぶ時は、全力で遊ぼうと思う(笑)
ありがとう!そして、ごちそうさま!


調子にのって、俳句ファイナル!


甥姪の
心しみいる
無垢なえみ


痛みもそこそこ
いとうれし。


適当過ぎる(笑)俳句。
これにて、完結!


あーちゃん。
ふーちゃん。
また、遊んでな(^ー^)ノ

新年。我流俳句!

2020年01月12日 | Michi-kusa
仕事柄、年始が繁忙期のため、ようやく遅めの新年挨拶。
実家に帰ってます(^_^)



銀閣寺大西さんのお肉で、今日は、すき焼き(^_^)v

療養中の両親、そして、弟も元気で良かった。


そこで、何故か浮かんだ一句を読み上げよう(笑)


食べ過ぎた
日頃食べれぬ
高級肉


俳句ってこれで、いいんだろうか?
小学校以来?!の新年恐れ知らずのチャレンジです(笑)

あの頃にタイムスリップ。

2020年01月09日 | Michi-kusa
同級生、松ちゃんの式場には、松ちゃんの小、中、高の卒業アルバムや松ちゃんが過去に取材を受けた雑誌の記事など思い出となるものが一部展示されていました。
卒業アルバムって、見いってしまいますね(^-^;

小学生から中学生へ。
中学生から高校生ヘ。

そこには、沢山の友達がいました(笑)
面影はありますが、やはり歳月が大人に成長さすんやなぁと思って見てしまった。
“うわぁ~。中学生の時は、こんな感じやったんや~”って・・・。

早めに到着した告別式の式場には、お兄さんと会場スタッフしかいなくて、展示物をゆっくりと見ることができました。

そして、友達たちが集まってくる。
久しぶりにあってるのに、すぅーと馴染む感じは何なんだろう。

1989年3月に撮影された写真を友達からもらいました。この中のほとんどが、お通夜、告別式に参列。
そして、今も付き合いがあるってことが、本当に嬉しいです。
この写真は、ライブをした時の写真。
当たり前やけど、みんな若い!
矢印マークは、僕です(笑)

松ちゃんのおかげで、この写真が手元にやってきた。こんな写真をとってたんやなぁーって懐かしくもあり、心強くもあります。

それは、僕には友達がいる。

からです(^_^)v




そして、これは、余談です。
僕が、小学校に入学して間もなく母が“友達できたか?”って聞いた時に、僕はこう返事したそうです。

“できたで!みんな友達。”って言ったそうです(笑)

ありがとう。

2020年01月05日 | Michi-kusa
令和二年一月二日。
同級生の松岡健(以下松ちゃん)が亡くなった。

そして、お通夜、告別式に参列させてもらい松ちゃんを見送ることができました。

松ちゃんの遺影です。
かっこええやんと密かに思ってます。

二日間ともに、沢山の参列者でした。
そして、友達の久しぶりの顔ぶれを見られた。場が場だけに、がっつりと握手をするだけやったけど、会えたことが嬉しかった。それぞれに、それぞれの手の感触があり、その感触から、それぞれにそれぞれの生活を生きていると思った。

友達がいたから?
なぜか・・・涙を流すことはありませんでした。僕の脳が「死」の受け入れを拒否してるのかな?

松ちゃんの大好きな曲がガンガン流れる葬儀場。こんな葬儀は初体験。そして、香典返しの中に添えられた喪主様からのメッセージも僕の心に届きました。

一部ではありますが載せようと思います。
それは、このような文面を見たのは、初めてということと松ちゃんを思うご家族の気持ちが一杯詰まっているように思えたからです。


「音楽を愛し、人を愛した生涯でした」

とにかく音楽が好きで、ギターが大好きな子でした。

職人の道に夢を見いだしアメリカで学び、帰国後「ギター工房デイリートーンギターズ」を開きました。

音楽を愛する皆様のお手伝いができることを、息子はとても喜んでいたはずです。
ただ“商売人”にはなれなかったのが、優しいあの子らしいと感じています。

私達の心には、沢山の面影があります。
皆様のもとには息子が携わったギターや、共に紡いだ思い出があるでしょう。これからも息子は色んな形で生き続ける、それが何よりの慰めです。

次男松岡健は、令和二年一月二日、四十七歳にて生涯をとじました。息子を愛してくださったすべての方へ、深く感謝申し上げます。

京都の片隅の工房に一生懸命頑張った職人がひとりいた、そのことを覚えていてくださるなら嬉しい限りです。



素直に言います。

松ちゃんに出会えて良かったと思う。



くそーー!今頃、涙が出てきた。
くそーー!止まらんくらいに出てきよる。



棺に横たわる松ちゃんに花を手向けた。
その時、僕は松ちゃんに声に出して言った。

また、俺と出会ってくれ。

って。

そして、出棺の時も、

お世話になりました。
ありがとう!

と声にした。



松ちゃんが以前言うてくれました。
“やっしー。ベース続けや”って。

僕の返事は、
続けられるように、頑張る!
みててや!
です。



くそーー!涙がとまらん。


法名 釋浄健。
心からご冥福をお祈りします。

別れ

2020年01月03日 | Michi-kusa
高校の同級生が亡くなりました。

このブログでも何度か登場したデイリートーンギターズの松岡健(以下松ちゃん)氏です。ベースのメンテナンスでずっと世話になってました。


大晦日の夜。
友達から松ちゃんが脳出血で倒れ、緊急入院したと電話がありました。
元旦。
仕事が終わってから病院へ。
松ちゃんのご家族に挨拶をし、ベッドの横へ。自分で呼吸ができないため機械から聞こえる音が、生きてる証に思えた。
手を握って、呼びかけるけど反応はありません。手は、温かい。
自宅の二階。自分の部屋で倒れていたそうです。そして、手の施しようがないということだった。ただ、しゃべりかける声は聞こえてるとお兄さんから教えてもらっていたので、

松ちゃん。がんばれ!がんばってくれ!

もうこの言葉しか出てこなかった。

翌日。
夕方に病室へ。高校時代の友達がそろっていた。本当に久しぶりに会えた友達もいたこともあり、病室は賑やかだった。松ちゃんが聞いているのなら、喜んでいただろうか。それとも、お前らうるさいねん!って言うのだろうか。きっと、ニヤニヤ笑って聞いてると思います。松ちゃんのオリジナル曲や好きなアーティストの曲がiPadから流れてる病室に松ちゃんを含めた野郎たちの笑い声と機械の音。それに反応したのだろうか?松ちゃんの右足親指が動くのを全員で目の当たりにした。この反応の後、病室を後にした。

そして、
夜22時半。
友達から松ちゃんが危ないと連絡あり。
車を飛ばした。
22時49分。
病院のパーキングへ。病室へ走った。

涙を見せる友達が病室から出てきた。

間に合わなかった。
22時42分。亡くなったとのこと。

お兄さん、友達たちが松ちゃんの両親が病室に到着するまで必死に呼びかけたそうです。
一度は、絶たれた命が蘇生したそうです。

松ちゃん。最後まで頑張ったと思います。
まだ、温かい手と最後の握手をした。



工房で松ちゃんと言葉を交わしてきました。印象的な言葉は、

“大丈夫やで”って言葉です。

そして、否定的な言葉を言わないというスタンスです。これは、松ちゃんの性格なのかもしれません。

その“大丈夫やで”って言葉通り、今も、僕のベースたちは、健康に、そして、バリバリとステージで僕を支え続けてくれてます。


本当に、松ちゃんには世話になりました。


雑談の中で、血圧が高いってことも言ってました。無理すんなよ!だけでは、ダメやったんやなぁーと今になって思う。


僕が使ってるベースには、松ちゃんの仕事の証が数々残っています。きっと、これからも残って行くものだと思っています。

松ちゃんへ。
俺の相棒たちの面倒見てくれて、ありがとうな!

明日、お通夜。
明後日、告別式。

しっかりと見送ってあげたいと思います。