赤とんぼ
自分の部屋から見る青空に誘われてLEO君と野川公園に散歩に行った。LEO君はでかすぎて自転車に乗れない。近いけど車で行くしかない
駐車場の片隅に赤とんぼが止まっている。久しぶりに見た。近寄ると自由に飛んでいる。そうだ、写真に撮っておこうと。次に脳裏に浮かんだのは赤とんぼの歌だった。
作詞をした三木露風さんは三鷹と関わりがある。
http://www.city.mitaka.tokyo.jp/koho/2009/20090201/p1.htm
私が赤トンンボで一番思い出がある場所は、青森県野辺地にある馬門温泉だ。赤とんぼに囲まれた真っ赤の世界だった。昭和50年頃の夏の終わりだったか。
夕焼け小焼けの赤とんぼ おわれてみたのはいつの日か
山の畑の桑の実を 小かごに摘んだはまぼろしか
十五で姐(ねえ)やは嫁にいき お里の便りも絶えはてた
夕焼け小焼けの赤とんぼ とまっているよ竿の先
LEO君と二人で自然を独占
陽射しのある場所は子どもたちの楽園だ。
楽しくテニスをやっている姿は平和だ。
いつものようにセルフタイマーでLEO君と一緒に。
真摯な姿と素直な言葉に感激 大村先生
定時制の生徒から学んだ!言いたくても言えない言葉だ。あの最初の会見の時に。定時制、工業高校に学んでいる生徒に勇気を与えたことと思う。
ノーベル医学生理学賞に輝いた大村智・北里大特別栄誉教授(80)
東京都の墨田工業高校定時制の教師になった。それが研究者への道につながった。
「近くの工場から仕事を終えて駆け込んできて勉強する生徒がほとんど。期末試験に飛び込んできた一人は、まだ手のまわりに油がいっぱい付いていた。そういうふうに勉強しているのを見て、私ももっと勉強しなきゃいかんなと思った」と会見で振り返った。
生徒の姿に胸を打たれ、東京教育大(当時)の聴講生に。その後、東京理科大の大学院で化学を学び直し、山梨大助手を経て北里大に転じた。