10月10日は体育の日 東京オリンピックに
私は、満69歳。東京オリンピックの時は19歳。半世紀を生きてこられたのだ。幸運というしかない。亡くなった両親に感謝するしかない。
50年前の自分は夢や希望もなく、東京オリンピックだけを楽しみにしていた。
昨年のブログに当時のことが書かれている。参考までに。
昭和39年3月工業高校を卒業し、4月から仁丹テルモ幡ヶ谷工場生産四課に配属されていた。プラスティックの射出成型で体温計の本体を作る職工さん。体力自慢の俺でさえ折れそうになった。12時間勤務は応えた、それ以上に単能工が耐えられなかった。夜勤の立っぱなしの12時間労働は・・・。半年も過ぎ職場に嫌気がさしているところに東京オリンピックの開催。
思い出に残るのは、
ブルーインパルス
オリンピア(記念タバコ)
アベベ(裸足のランナー)
初めて煙草を吸って眩暈を起こしたこと。
今年も快晴だった。50年で何が変わったのだろうか。負けん気は変わらない。ただみんなと同様、年齢的に体力は落ちてくる。最近思っていること。若い時は若い時の楽しみ方があり、高齢者は高齢者なりの楽しみ方があるはずだ。でも、政府が考えているのは、「ゲートボール」で何が文句あるという姿勢だ。ゲートボール場もなくなりやっている人も少ない。じゃ、何をやればいいのか。「寂しい」「話がしたい」という普通の声だ。その声をどう実現するかが私たちに与えられた任務と思う。