輝ちゃんつれづれに 

インスタ・LINE、スレッズ、mixi2を始めました。楽しかったこと、残しておきたいことを自分の言葉で書き込みます。

こんな時代もあった

2016年12月23日 23時46分21秒 | ことば

吉田拓郎

1946年4月5日 鹿児島出身

SONGSスペシャル「吉田拓郎~風のように…なんて考えた事があったなぁー~」

70歳になった吉田拓郎のライブを独占収録▽なぜここまで全力で走り続けたのか?▽ラストで感極まった理由は?▽「旅の宿」「落陽」「春だったね」「人生を語らず」など名曲をたっぷり▽更に8月に行われたリハーサルの密着ドキュメントそしてNHKで行った単独インタビューを一挙公開▽年齢との戦いを通じて感じた思い▽憧れのアーティストボブ・ディランをカバー▽70年という歳月で達した拓郎の音楽への熱い思いに迫る

   

学年で言えば俺の一年下。でも同じ戦後時代を生き抜いてきた。反権力の動じない力・反骨精神を持っている。また、「東京なにするものぞ」というアンチテーゼがあった。

「いやだな、年齢を重ねることは」、この言葉は実感がこもる。

「アゲイン」。私が歌で、音楽で伝えたい。何か気がついてくれるはず。

プロだな!コンサートに全力、用意周到。

道のりは長かった。音楽をやっていると幸せになる。

「人生を語らず」吉田拓郎、70歳のメッセージ。

桜堤三丁目

俺のふるさと、武蔵野市桜堤三丁目。

気になっていた荒川さんに挨拶に行ってきた。ファシリテーター養成講座のグループの中の人がよく知っているというので。斜向かいの荒川さんの長男のお嫁さん。歳を聞いてびっくり80歳だという。この時点で俺自身が70歳というのを忘れている。地域の活動家と聞いている。この近所の人たちは馴染みだ。この雰囲気はいいものだ。

小金井公園に行ってきた。

https://www.tokyo-park.or.jp/park/format/index050.html 

    

小春日和ではないが暖かい。とても年末とは思えない。父親が一日中遊んでいたゲートボール場。LEO君がよく遊んだドッグラン。孫と一緒に遊んだソリゲレンデ。人気のふわふわ(名称を忘れた)。小さいころ朝早く起きてカブト虫を捕りにきた雑木林。風が冷たくなってきたので公園を後にした。長男がかかとを骨折してから1年。荻窪病院に毎日通った。いつも隣の観泉寺に寄ってきた。あっという間だな1年なんて。

 

 


  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする